IUIピックアップ VOL.31

新たな「抵抗」が生まれる環境を目指して

インタビュー

三浦 倫平[都市社会学、地域社会学/都市地域社会コース教授]

Interview with

Rinpei MIURA

三浦倫平先生は都市社会学及び地域社会学を専門に、現代における社会運動の可能性や課題について研究されています。今回は下北沢の再開発や地域コミュニティである「シモキタ園藝部」の活動に着目し、均質化に対する抵抗としての市民運動、新しい抵抗のかたち、人間中心ではない運動やプロセスといったテーマを通じて、都市や地域に根差した社会活動の「いま」についてお話を伺いました。
聞き手|藤原徹平[建築家/Y-GSA准教授]
写真|金川晋吾(ポトレート)

YEARBOOK2025/2026の特集テーマは「環境と都市」です。三浦先生は都市科学部で刊行される「プラネタリー・ヘルス」にまつわる本の中で、まさに環境を題材にしていると伺いました。どういった内容について書かれたのでしょうか。

三浦 様々な分野の先生方がプラネタリー・ヘルスについて書かれているなか、私はプラネタリー・ヘルスという器の中に福利厚生のために環境を良くしようという人間中心主義的な考え方があるように思い、その部分を少し批判するようなことを書きました。これまで研究してきた社会運動や市民活動の実例を挙げ、人間が好きなように緑地をつくるのではなく、むしろ自然に触発されることで私たちの活動が促されていく。そういった関係のあり方からプラネタリー・ヘルスを再定義していくといった内容です。

地社会運動や人文系の領域に向けた人間中心主義の批判。それは面白いですね。

三浦 それが最近の自分の中での大きなテーマになっています。社会学、都市社会学、地域社会学がいかに人間中心主義的な学問なのか。また一言で「運動」と言っても、それは人間だけに関わるムーブメントではないのではないか。そもそも運動というものは、自然や建物、その他色々なものの連関の中で生まれるものだと思うわけです。だからこれまでどうしても人間中心的に見たり、記述してきた視点に対し、少し間口を広げていきたいと考えています。

そもそも、なぜそのような分野を大学で学ぼうとしたのでしょうか。

三浦 父の仕事の関係で11歳くらいから中学三年生までの4、5年間、ヨーロッパのオーストリアに住んでいたことがありました。ところが当時は、90年代初頭のネオナチ主義政権の時代だったこともあったのか、差別を受けることがありました。こんな綺麗なまちで、モーツァルトのような音楽家が生まれたまちであるはずなのに、なぜこんなことをするんだろうという違和感がとてもあったわけです。高校生の時に日本へ帰りましたが、今度は日本でも「なぜどこも同じようなまちなんだろう」という日本社会に対する違和感もすごくありました。そんななか、社会を相対化しながら研究する文化人類学という学問がとても面白く、自分の手で日本社会を相対化してみたいと。同時に、社会学も同じような学問であることが分かり、社会学も勉強することになりました。

Rinpei Miura

大学院ではどのような研究をされていたのでしょうか。

三浦 ちょうど当時はグローバリゼーションと言われ始めた時代でしたので、文化の均質化ということにとても興味があり、そうした均質化や非人称的な権力に対してどのように抵抗するかといった研究を理論的に行っていました。

そのことがきっかけで、現在は市民運動について研究されているのですね。市民運動にはどういったものがあるのでしょうか。

三浦 博士論文では下北沢の再開発に対する市民運動についてまとめました。例えば、最近有名になってきている「シモキタ園藝部」という団体があります。これは裁判の和解勧告を経て行われるようになった官民協働のラウンドテーブルの中から出てきた団体で、先ほどのプラネタリー・ヘルスの本の中でも取り上げています。裁判になるまでの下北沢の運動は、「このまちを壊すな」「道路をつくるなら緑や公園をつくれ」といった要求型の運動でした。しかし、緑や公園がほしいという要求の解像度が低く、公園をつくったところで本当にそれを維持管理できるのかという問題が潜在化していました。そして実際、ラウンドテーブルから生まれた官民の連携によって、世田谷区と小田急が緑地を貸すことになり、市民の側が場所を手に入れることができてしまった。そういった経緯があり、シモキタ園藝部は創意工夫を凝らしながら自主的な空間づくりを行っています。ちなみに都内では、その他に「原宿はらっぱファーム」や「NPO法人コンポスト東京」といったコミュニティガーデンのような空間をつくり出していこうとする団体があり、そのようなコモンズを自分たちで維持してつくっていく活動は、都市部においてとても重要になってきていると思います。

『「共生」の都市社会学 下北沢再開発問題のなかで考える』
三浦倫平 著/『「共生」の都市社会学 下北沢再開発問題のなかで考える』(新曜社、2016年)
『変容する都市のゆくえ 複眼の都市論』
三浦倫平、武岡暢 著/『変容する都市のゆくえ 複眼の都市論』(文遊社、2020年)

かつての社会運動と言えば左翼性が強かったように思いますが、みんなで隙間を使って何かをつくっていくという運動であるかぎり、かつての性質とは多少異なる気がします。そのあたりはどのように考えていますか

三浦 これは都市社会学の分野においてもホットイシューです。それこそニール・ブレナー*¹に代表される「資本主義的な搾取をいかに批判するのか」といった左翼的な「クリティカル・アーバンセオリー」(批評的都市理論)がある中で、諸悪の根源が資本主義や企業にあることがあまりにも前提になりすぎているのではないかという考え方があります。つまり様々な関係性の中で資本主義上の問題が起こっているのであって、企業や行政がひとえに悪いというこれまでの左翼的な見方は問題の状況自体を見誤っているという批判です。実際の現場で活動するシモキタ園藝部の方々を見ても、別に小田急を敵にしているわけではありません。うまく相手の意見を使いこなしたり、やり過ごすようなかたちで自分たちの好きな空間をつくっているんです。資本主義と縁を切って抵抗するのではなく、資本主義との関係性の中で自分たちでつくる新しい経済のあり方を目指している。だから商品の生産や販売も行っています。「交換」「互酬」「再配分」など、カール・ポランニー*²が言っていたような経済上の様々な組み合わせをいかに市民の側がつくっていくことができるのか。そういった部分に、今後の抵抗の可能性を見出したいと考えています。

自分たちの経済をつくることが抵抗になるということですね。「原宿はらっぱファーム」には若干関わっていましたが、みなさんがそれを楽しんでやっていること自体こそが最大の抵抗になっていて素晴らしいなと思っていました。2026年1月に借りていた土地を財務省に返しましたが、最後の閉園イベントではみんなでお祭りを催しました。そうやって楽しそうにやっていれば、他の人々も何だか良さそうな場所だなということで自然に集まってくるものではないかと。

三浦 そうなんです。市場経済の中で商品化を目指すだけでなく、「こういったやり方もあるよね」と楽しみながらやっていることがひとつの批判になっているんですね。ただ、最近は資本主義もそういった活動の流行に目ざとく注目しつつあります。例えば、シモキタ園藝部は養蜂を手がけていますが、三菱地所も丸の内の建物の屋上などで養蜂を始めています。シモキタ園藝部のような活動が、大きな資本に包摂されなければ良いなとも思います。

シモキタ園藝部HP
シモキタ園藝部HP(https://shimokita-engei.jp/index.html)

そのような活動は抵抗であるべきだと思うので、資本主義には置き換えることのできないものだと思います。たとえ屋上であったとしても、下北沢のような住民が好きに使って良い土地を三菱地所のようなディベロッパーに明け渡すことがないことを信じたいです。

三浦 たしかにそうですね。ただ、小田急ができないと言ったことに対して、園藝部のメンバーも「それができないなのはおかしい」と口を揃えて文句を言うわけではありません。もちろん部のトップの方々はずっと裁判をやってきたこともあり、問題意識の強い方々は当然いらっしゃいます。しかしながら、基本的には緑が好きな人たちの集まりであるわけです。そのあたりを今後どのように頑張っていくかというところだと思います。

シモキタ園藝部の活動風景
シモキタ園藝部の活動風景

例えば、スペインのバルセロナは都市経済の崩壊を経てふたたび再生しつつあります。それは国家に対する不信感が強くなったことで、集合住宅や都市をつくらせろという市民社会からの要求が高まっているからなんですね。実際に「使用権型コハウジング」という仕組みができましたが、これはバルセロナ市が買った土地を低廉な家賃設定で市民団体に貸す制度です。また70年ほどのタームで賃貸契約も担保されていて、市民が建設会社や設計者を連れてきては自分たちで都市開発をしている。つまり半分左翼的、半分資本主義的な方法でバルセロナのライフスタイルが守られているわけです。一方、日本は完全にディベロッパー任せの部分があり、言わば流行りもののつまみ食いをしているだけにすぎません。都市の未来を資本主義とは違う軸から考えるための議論をつくっていなければいけないとも思います。

三浦 下北沢も「コマーシャル・ジェントリフィケーション」(商業がもたらす都市の富裕化現象)が進み、昔からあった個性的なお店も徐々になくなりつつあります。ただ、その中でも商業的なジェントリフィケーションを問題にしている人たちもいらっしゃいます。例えば、大きな駅前広場がつくられたことで高い建築物が建てられてしまい、どこにでもあるまちと同じになってしまうと。そもそも下北沢にバスロータリーは必要なのだろうかという問題意識を持っている方もいます。最初はゲリラ的に駅前広場の空間を有効活用できる場所にしようということで、金銭目的ではないお祭りやマーケットを開催したりと、いわゆる普通の駅前広場にしないという活動を行っていました。だけど行政は淡々と仕事をするので、結局は大きな駅前広場が下北沢にできてしまった。ただそれでも、駅前広場に接続する道路予定地はしばらく道路として活用できないので(用地買収が完全には終わっていない)、そこにベンチを置いてみたり、イベントを打ったりという活動は続けられています。コマーシャル・ジェントリフィケーションに対抗できているわけではありませんが、まちの中に異質な空間をつくっていくような運動ですね。

下北沢には昔からバーや劇場がたくさんあることからも、言わば都市文化が抵抗運動の人々の繋がりの核になっていたまちだと思います。その中で抵抗はどうやって生まれるのかとも思うのですが、やはり先天的に自分の場所が失われることへの反発が息衝いているような気がします。

三浦 それはあると思います。例えば、いま下北線路街空き地というエリアに、子どもたちの遊び場としての空き地がありますが、そこに設置されている土管が撤去されるという話が出ています。住民にとってはまさに喪失なのですが、子どもたちが大好きだったからということで抵抗運動が起きつつあります。失われるものの属性によっては、失われることへの強い抵抗が起こるきっかけになるということですね。

土管のある広場「下北線路街 空き地」
土管のある広場「下北線路街 空き地」

最初のお話に遡りますが、市民運動における人間中心主義について批判されていたかと思います。人間中心ではない社会運動、あるいは市民運動とはどういったものになるのでしょうか。

三浦 社会運動論はこれまで運動主体を中心に説明されてきました。つまりどのようなロジックで運動を正当化したのか、あるいはどんな資源を持っているのか、さらにはどういった政治的なバックグラウンドがあるのかといったように、運動主体を独立変数として見てきたんです。これはまだしっかりと研究されている領域ではないため、自分でもまだ言語化できていない部分ではあります。しかし、運動とは人間だけでなく、インフラ、建物、自然、あるいは別の動物といった様々なものの関係性の中で、偶発的に起きていく現象ではないかと考えています。運動主体の意図だけで、その運動の出来事の成否が決まるわけではありません。シモキタ園藝部の活動も人間だけには還元できないもの、大きく言えば自然と人間とのあいだの関係性によって偶発的な展開が起こります。こうした図式は、他の様々な社会運動にも適用できると思っています。

たしかに下北沢の場合、運動のきっかけは鉄道が地下に潜ったことにありました。その意味では人間中心ではあるけれども、環境変化に対する応答として読めなくもありません。

三浦 元々は線路だったところが一本の道として繋がった空間なので、シモキタ園藝部やBONUS TRACKの活動も可視化されているわけです。そうすると周囲との一体感が出てきますし、会話も生まれるようになる。やはりこのことは空間と人との関係性の中でこそ起きているのであって、人間側の意図のみには還元できない特徴だと思います。

下北沢駅前広場の活用
下北沢駅前広場の活用

下北沢と隣の地域を繋ぐ線路をみんなで改造しながらも、いまだにそれを変え続けているプロセスにあることが素晴らしいと思います。つまりはあの空間自体こそが運動のようなものなのかもしれません。一般的に再開発は、箱をつくってそこにコンテンツを詰めていくわけです。ところがそうではなく、過程そのものをつくっている。そして人工の環境に「園藝」という、まさにプロセスをメンテナンスする人々が関わっているのも、時間軸があってとても面白いですね。

三浦 植えている植栽もどんどん種類を変えています。基本的には人間のコントロールを超えているので、知らないあいだに変わっていってしまうみたいです。まるでメタボリズム的な変化を遂げているようだなと思います。

原宿はらっぱファームもそうでしたが、その場所をメタプロセス化する、あるいは非場所的なプロセスに転換していくように、その場所があったからこそ生まれた関係性が長期的な視点であらゆる場所をネットワークしていくきっかけになれば良いですよね。シモキタ園藝部も関係性をつくる過程の先には抵抗という運動があり、抵抗があることで人々の関係性も濃密になっていくのではないかと思いました。貴重なお話をありがとうございました。

註
*1 ニール・ブレナー Neil Brenner
1969年生まれ。シカゴ大学社会学部教授。1990年代以来、スケールやリスケーリング、国家空間、資本主義的都市化、惑星的都市化といった概念を彫琢し、それらに基づく比較研究を行うことで学際的・国際的な理論構築を旺盛に行っている。また「都市理論(化)」というアプローチそのものの重要性を世界に認知させ、都市理論における批判的な方法論や地図作製を体系的にアップデートするなど、都市研究分野の中心人物として知られている。
*2 カール・ポランニー Karl Polanyi
1886-1964年。ウィーン出身の経済学者。経済史の研究を基礎として、経済人類学の理論を構築した人物。代表的著作に『大転換―市場社会の形成と崩壊』(吉沢英成訳、東洋経済新報社、1975年)、『人間の経済 Ⅰ 市場社会の虚構性』(玉野井芳郎/栗本慎一郎訳、岩波書店、2005年)などがある。

Rinpei MIURA
Rinpei MIURA
都市社会学、地域社会学。都市地域社会専攻准教授。主な著書に『「共生」の都市社会学 下北沢再開発問題のなかで考える』(単著、新曜社、2016年)、『変容する都市のゆくえ 複眼の都市論』(編著、文遊社、2020年)など。主な論文に「モビリティという視角からの地域社会学の再考」(『地域社会学会ジャーナル』No.8、2022年)、「ソーシャル・イノベーションとしての都市緑地のコモンズ化」(『都市社会研究』第17号、2025年)などがある。