IUIピックアップ VOL.26

グローバルシティから、個人化する社会へ

インタビュー

齊藤 麻人[都市社会学、都市政策、世界都市研究/都市地域社会コース教授]

Interview with

Asato SAITO

齊藤麻人先生は社会学を中心に、国家論、都市計画、コミュニティ論などを相互に横断するかたちで研究を進めています。今回は大学院時代を過ごしたイギリスの国家、資本、市民との関係性に基づいた都市政策について、またアメリカや日本などの都市の動向を踏まえた「グローバルシティ」の行方についてお話を伺いました。
聞き手|藤原徹平[建築家/Y-GSA准教授]
写真|白浜哲

齊藤先生の研究分野について教えてください。

齊藤 学会としては「都市社会学会」や「地域社会学会」に所属していますが、きちんと名前を決めることが難しい分野だと思います。大きく「都市研究」と括っていただいて良いと思いますが、自分の考えとしては社会学、地理学、それから政治学が重なっている領域について研究しているイメージです。

そのような研究分野に興味を持ったのはいつ頃だったのでしょうか。

齊藤 学部生の時は法学部で政治学を専攻していましたが、都市について興味を持ち始めたのは高校時代まで遡ります。私の実家は東京都23区の南にありましたが、たまたま通っていた高校が都心に近い場所だったこともあり、家から小1時間かけて通っていました。そのことで自分の家と都心とでは随分と環境が違うんだなと感じたんですね。自分が住んでいる地元は何の変哲もない普通の住宅地だったわけですが、都心に行けば様々な建物があるし、異なる道路のパターンもあるし、異なるランドスケープだってある。見たことのない建築物を発見しては、そのたびに面白いなと思ったことが最初のきっかけだったと思います。

なるほど、毎日東京という都市を縦断していく経験をされていたわけですね。

齊藤 当時の東京都の公立高校の場合、大田区から千代田区まで南北に連なる細長い通学経路でした。いまはそういった制度はないようですが、本当に遠いところから学校に通っている人もいましたね。また元々歴史が好きだったこともあり、都市や建築の歴史に興味を持っていたことも大きかったと思います。大学卒業後は法学部を出て金融関係に就職しました。ただ、3年ほど勤めたあたりで金融には向いていないと分かり、イギリスのニューカッスル大学大学院の都市計画科に進学しました。都市計画という領域は様々な分野から勉強することが可能だということで、この大学院の学科であれば自分の興味に根差した研究ができるのではないかと思いました。

なぜ大学院にイギリスを選んだのでしょうか。

齊藤 都市計画はイギリスが発祥だと言われていますし、アメリカという国家がそれほど好きではなかったこともひとつにありました。都市計画について学ぶことは楽しかったですが、入学したのは研究専門のコースではありませんでした。むしろ実務家を育てるためのコースで、プロフェッショナルな大学院だったわけです。いきなり実務家としての都市計画家を育成するコースに飛び込んでしまいましたが、何も分かっていない中でよく受け入れてくれたなと思います。また入学後はインターンで地方自治体の都市計画課にも配属されました。夏休みの2ヶ月ほどでしたが、そこで色々な現場について教わりました。最初の大学院で通ったニューカッスルはすごく面白い都市で、イギリス東北部のスコットランドとの国境に近い場所です。タイン川河口近くに位置する工業都市ですが、イギリスでは川が港の機能をも果たすことを示している場所でもあります。結局2年間をニューカッスルで過ごしましたが、そこで勉強を続けるにはやや視野が狭いと感じたこともあり、もう少し広い世界を見てみたいということでロンドンの大学院へ行くことになりました。

ニューカッスルで考える都市とロンドンで考える都市は違うものなのでしょうか。

齊藤 ニューカッスルとロンドンは規模ばかりではなく、国際的な機能が違うと思います。もちろん金融セクションの有無による違いもありますが、それが全てではありません。開放性や多様性の度合いが、両者の違いとして大きいのではないかと思います。とくに私の場合は研究分野としてグローバルシティを選びましたが、当時の論文や書物ではグローバルシティの枠組みで都市を比較研究しているケースが多かったと思います。それに日本を含めたグローバルシティについて考えたかったので、グローバルな理論から入っていくことが良いのではないかと思っていました。

ニューカッスルとタイン川流域
ニューカッスルとタイン川流域
(著作者:Tagishsimon CC 表示-継承 4.0 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tyne_Bridge_-_Newcastle_Upon_Tyne_-_England_-_2004-08-14.jpg)

グローバルシティ研究を始められたのはいつ頃だったのでしょうか。

齊藤 サスキア・サッセンの『グローバルシティ』(Sassen, S. (1991) The Global Cities: New York, London, Tokyo. Princeton NJ: Princeton University Press.)が出てしばらくしたあたりです。もちろんその前からピーター・ホールやジョン・フリードマンなど、世界的な影響力を持つ都市をワールドシティとして研究しようという方はいました。しかし、体系付けて研究のフィールドとして確立したのは、サスキア・サッセンによる功績だと思います。

グローバル・シティ――ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む
サスキア・サッセン『グローバル・シティ――ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む』(伊豫谷登士翁監訳、大井由紀訳、高橋華生子訳、筑摩書房、2008年)

他の都市や国々に文化を含めた影響を与えていくような大きな都市=グローバルシティと、もう少し閉じたローカルな都市ではたしかに違いがあるように思います。グローバルシティの意味はこれからどのように変わっていくのでしょうか。

齊藤 これほど対面以外の人間や社会との関係が増えていけば、必ずしも都市にこだわらない社会になっていくのではないかと思います。とは言え、なかなか定義するのは難しいですが、都市の持つ文化や性質はこれからも非常に大事になるのではないでしょうか。たしかに都市は宿命的な弱さを持っています。例えば食料生産やエネルギーなど、都市自体を支えるものは都市の外から供給されていますよね。つまり都市だけでは存在することができないわけです。そのため、農村社会を基準とした農村主義(または農本主義)を推進しようとする国々はたしかにあります。日本でもそういった思想はありますが、農村主義だけでは国そのもののバランスを欠いてしまいます。一方で生存することだけに特化すれば、交流や開放の動きに囚われず、いまあるものをしっかりと守ることに落ち着く考え方も出てくると思います。ドナルド・トランプの考え方に近いですね。

なるほど、齊藤先生が重視しているのは「開くことで生まれる関係の可能性」であり、それがある種の都市性、社会のあり方に繋がるということですね。

齊藤 そういう見方の下でこれからの社会について考えています。逆に言えば規模だけ大きくても、革新性や先進性のない都市や地域もあるのではないかと思っています。

規模の問題でないということは小さな都市であったとしても、グローバルシティとして開かれた存在になる可能性もあるということでしょうか。グローバルシティの条件とは、オープンネス以外に何が感じられますか。

齊藤 ひとつは自由だということじゃないでしょうか。グローバルシティは世界経済における自由化の賜物によって大きくなってきた側面があるので、新自由主義と一体であると捉えられることが多いと思います。ただその中で、暮らしそのものを守るために、生活の質の問題に介入していく政策も続いてきました。だからグローバルシティの政治思想としては、リバタリアンという自由至上主義より、少し昔からあるリベラリズムのような自由主義に繋がっていると思います。研究の話に戻すと、グローバルシティの研究を始めた時は、国からの規制や役割が日本を含めた東アジアの都市では非常に大きいという議論が出ていた頃でした。そこでそれらの枠組みとグローバルシティがどのように繋がっているのかを博士論文の中でもっと進めたいと思い、グローバルシティの研究へ移ることになります。当時博士論文で書いていたのは、東京の湾岸地域の開発でした。例えば、ロンドンのドックランズのような再開発地域では、大きな不動産会社が前面に出て開発を仕切っていました。一方、東京の臨海副都心開発では、民間企業の存在感はとても薄く、東京都と一部の国の省庁とでほとんどの方向性を決めてしまいます。これが当時のアメリカやイギリスだと、国外の外資系の会社がどのような開発にコミットしていくのかが話題になっていました。財政難がかなり進行しており、そうしなければ大規模な開発はなかなかできないという議論だったわけです。しかし、日本の場合は外資の参入もなく、開発のほとんどは自治体と国とで仕切られてしまう。もしくは限られたエリアの中に、民間の資本を呼び込むかたちでしかありませんでした。もちろん公的な利益を守らなくてはいけませんが、民間資本とともに開発を促すことはイギリスでは当たり前になっていました。

日本の都市開発は今後どのように展開されていくのでしょうか。いままでの流れを維持していくのか、大きな動きとして民間に委ねるべきなのか。

齊藤 明治神宮外苑の問題を考えても、ほとんど民間に頼らざるを得なくなっていると思います。また程度の差はあれ、アジアにおける都市開発での国の力はそれぞれの国の歴史によるところがあります。私は韓国の先生方と一緒に研究を行ってきましたが、韓国と日本においても国の力に関しては意味合いが全く違っています。韓国には軍隊による独裁政権だった時代があるので、当時の「国」と日本における戦後の「国」は性質が違うわけですね。またこれだけ世界中において政府と市民社会の対立が深まっているにもかかわらず、日本では対立が起こりません。そのことで日本は真に民主的な国ではないと言われたこともありました。しかし、いわゆる民主的だとされる諸外国で、最近のようにこれほど様々な社会を分断する問題が起こってくれば、「かえって民主的ではない方が安全に暮らせるのではないか」と言い出す人が出てきてもおかしくない気はしています。

農村がグローバルシティのような都市性を持つようなケースはあるのでしょうか。

齊藤 農村の都市性に関して言えば、イギリスの田園や農村にあまり田舎や過疎地のイメージを感じることがありません。近隣の住民どうしのあいだには地縁も存在していますが、考え方もかなり違っている人々どうしが住んでいるため、強い共同体意識は感じられません。またイギリスの選挙は国会議員も日本と同じ小選挙区制なので、農村部にも選挙区が存在します。ただここで興味深いのが、農村には縁もゆかりもない人々が立候補するということです。日本では珍しいケースだと思いますが、イギリスではよく起こります。地元出身だったり、何かしらの関係があるわけではなく、主に政党の支持を得て立候補するので、その政党が強い地域であれば党の方針で立候補に送り込まれます。

以前イギリスで仕事した時に面白いなと思ったのは、国家なのか、連邦なのか、王国なのか、民主主義国家なのか、色々と曖昧で、様々な定義が宙吊りになっている点です。

齊藤 ギリスについてよく言われるのは、色々な意見を取り入れる国ではあるものの、最終ラインの状況では確実に一線を引くことです。「ここからは後退しないよ」ということを歴史家の方々も口を揃えて言っています。そのことでよく話題に出されるのは、第二次世界大戦時に敵国のドイツに対してどのような政策を打つべきかを考えた時のことです。ヨーロッパのほとんどの国は融和政策を選んだことで最終的に征服されましたが、イギリスの場合は最後には宥和政策を捨てて踏み留まる決断をしました。その結果ドイツからの征服を免れたわけですが、「ここは譲れないんだ」という国民のコンセンサスそのものを物語っているエピソードだと思います。

近い将来、アメリカを中心とした厳しい分断の時代が訪れつつあります。先ほどの都市史や社会学史といった視点から、それらを乗り越えるための知恵や動きはあるのでしょうか。

齊藤 このあいだ『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(アレックス・ガーランド、2024年)という映画が日本で公開されましたが、作品で描かれたような内戦状態も想定されますし、かえってその分断は深まるのではないかと思っています。ただそれは、本来何を中心に国ができているのかにも関わってくることなのかもしれません。これまでであれば、それは民族や人種、歴史といったものが中心となって国がつくられていたと思います。しかし今後は、理想やアイデアを大事にすることで分立を余儀なくされてしまうのではないかという気はしています。

つまりアイデンティティに立ち返れば、分立せざるを得ないということですよね。そもそもグローバルシティはアイデンティティをベースにした場所ではなく、色々な人々の集う場であるからこそのオープンな質が担保され、自由かつ公平に開かれています。また、こうした場の質を問うことがグローバルシティの都市計画でもあるというように感じました。

齊藤 もしかすると、それは「ものごとを議論して白黒を付けることを良しとしない」という日本に昔からある考え方に近い部分があるのかもしれません。いま興味を持っている分野として、社会の中で次第に単身者が増えていることがあります。これまでの研究よりもミクロにフォーカスした対象にはなりますが、まさに「個人化する社会」とも言えますね。つまり家族や会社、地域のような中間集団を元にして考えられていた社会が、むしろ個人化されてきているのではないのかと。そうであるならば、何か別のものとして社会を組み替えて考えていかなければいけないと思っています。まだ考え始めたばかりではありますが、「個人化された社会」が都市の開放性に結び付くことができれば、社会の新たな可能性も見えてくるのではないかと思っています。

個人化の社会学
ウルリッヒ・ベック、エリーザベト・ベック=ゲルンスハイム『個人化の社会学』(中村好孝、荻野達史、川北稔、工様宏司、高山龍太郎、吉田竜司、玉本拓郎、有本尚央訳、ミネルヴァ書房、2022年)

ちなみにYEARBOOKの今回の特集テーマは「都市とケア」です。齊藤先生の立場から何かコメントをいただけたらと思います。

齊藤 個人レベルでの精神的なものを含めたケアが、この特集の趣旨の背後にあると聞きました。しかし社会学は、一般的には心理学に対してすごく距離を取る傾向にあります。社会学と心理学は似ているようで、実は全く異なるアプローチを試みるわけです。例えば社会学では、制度や組織の存在を前提に個人の行動を客観的に紐解いていきます。少しステレオタイプかもしれませんが、心理学のように個人の心の持ちようで解決することとは対照的なアプローチです。現代の都市でケアについて考える上で大切なのは、福祉国家としての構造が解体されてしまって、社会全体で支えることができにくくなってきていることです。だからこそ社会の中でディスアドバンテージな状況にある人々が求めるケアについて考えることは、マクロ的に社会構造を問い直すことに繋がるのではないかと思っています。

Asato SAITO
Asato SAITO
都市社会学、都市政策、世界都市研究。都市地域社会専攻教授。著書に 『世界に学ぶ地域自治――コミュニティ再生のしくみと実践』(共著、学芸出版、2021年)、『東南アジアにおける国家のリスケーリング:都市研究と地域研究との対話』(編著、ミネルヴァ書房、2024年)など。主な論文に「Recentralization of Tokyo: Contradiction and Political Struggle for Regional Policy in Japan」(International Journal of Japanese Sociology、30(1)、2021年)などがある。