IUIピックアップ VOL.29
人間の可能性を読み解く-「都市のあとに来るもの」へ向けて
インタビュー
榑沼 範久[芸術論、哲学/Y-GSC教授]
Interview with
Norihisa KURENUMA
写真|白浜哲(ポートレート)
今回のYEARBOOK(*YEARBOOK 2022-2023掲載時)のテーマは、榑沼先生のレクチャー(2022年9月30日、東京工業大学、未来の人類研究センター都市研究会での発表「ある日、『森は都市を欲し、都市は森を欲している』と告げられて」)で語られていた「都市のあとに来るもの」にインスパイアされています。それは「都市のあとに来るもの」を本学府・研究院が考えていかなければ、これからの都市を対象にできないのではないかと改めて思ったからです。そのことについて考えるきっかけは何だったのでしょうか。
榑沼 僕の考える「都市のあとに来るもの」の「あと」は後/跡なのですが、ひとつには、自分が生まれ育った原風景や原体験について考えるようになったことがあります。こうした私的なことが、都市やその周辺に住むとは一体どういうことなのかという一般的な問いにもつながると思って。
生まれは東京の調布市深大寺町で、高度成長期後の1970年代をそこで過ごし、小学生の頃から京王線で調布と新宿、それから四谷を往復していました。当時を思い返すと、新宿の西口には高層ビルがどんどん建っていき、遠くからそれらを眺めることもあれば、自宅のテレビでは特撮に出てくる怪獣が都心のビル群を破壊していたりする。都市部にビルが増えていくのと同時に、怪獣や怪物、宇宙人といった得体の知れない者たちが街を破壊していくんですね。また一方で、僕が住んでいた深大寺には、お寺もあれば、すぐ近くに神社もあり、近代的な温室やバラ園も武蔵野の雑木林もある大きな神代植物公園を囲むように、あちこちに森や林があって。水木しげるにちなんだ「鬼太郎茶屋」はなかったけれど、妖怪が出てきても不思議ではない感じ。昼間でも入っていくのをためらうような暗がりや、湧き水の出ているところもありました。
また、家の近所には東京天文台もあって、その東京天文台の敷地の中には古墳の跡もあれば、その近くに調布飛行場もあるし、深大寺や植物公園をはさんで反対側ですが周辺にはJAXAの研究所もあった。調布飛行場は第二次世界大戦のあと米軍に接収され、横田や厚木のような軍事基地にはならず日本に返還されましたが、鉄条網に覆われていて、周囲はアメリカの空気が強かったですね。珍しかったペコペコのアルミ缶のコカコーラにもそこで出会ったし、飛行場の通りにはアメリカンスクールも。でも、そのすぐ向こうには多摩霊園が広がっていて、そのうち深大寺のほうへ引き返していくという。歩いたり自転車に乗ったりしながら、こうした複数の場所を脳内や肉体でパッチワークしていたんだと思います。もちろん当時はそういう言葉で考えていたわけではないけれど、自分で移動しながら制作するモンタージュ、あるいはコラージュやアッサンブラージュ。何かそういうことを遊びとして楽しんでいたんですね。こうした原風景の中での経験が大きかったと思います。
このことをマルティン・ハイデガー(1889–1976)の第二次世界大戦後の哲学に接続すると、「世界」とはいくつかの要素が集まって、互いに映し合っているアリーナ、つまり競技場、劇場だというのですね。僕にとっては、先のように想起される幼少時代や少年時代の風景や体験が、いくつかの要素が集まって映し合う世界の、何か基礎になる姿ではないかと感じています。ハイデガーには「四方界(Geviert)」という概念があって、「vier」は「四」、「Ge」は集まる/集めるという接頭語にあたります。「四方界」という訳語が定着しつつあるのですが、四つの要素が集まるという意味で僕は「四集界」と呼んでいます。四つの要素が互いを照らし合わせつつひとつに集まることで、それぞれ固有の単一な世界が構成されていく、というわけです。
ハイデガーが定義した「四」には、それぞれ何があたるのでしょうか。
榑沼 水を含めた「大地(Erde)」、「天空(Himmel)」、「神的なものたち(die Göttlichen)」、そして「死すべき者たち(die Sterblichen)」です。最後の要素は、ひとまず人間と理解するのが普通でしょうが、何れにしても有限性が運命付けられている者たち、そのことを自覚している者たちという意味でしょう。それら四つの要素が織りなされ、互いに映し合うひとつの場所こそ「世界」と呼ばれるものになる。それを深大寺に住んでいた頃から知っていたわけではないんですが、今改めて考えてみると、東京の深大寺の原風景が「四集界」につながってくるように思います。
ただ、深大寺のお寺や植物公園、天文台、JAXA、飛行場、アメリカンスクール、多摩霊園などが、緊密な単一性をなしているわけではないでしょう。複数のバラバラな要素があって、だからこそ、ここを移動しながら、そうした要素を集め、つなぎ合わせて遊ぶことができるアリーナにもなる。これはハイデガーとは違う考えになるかもしれないけれど、我々の住むところが単一性をなすべきだとは、必ずしも僕は考えません。日本語では「四集」の反対に、「四散」とも言いますよね。だから四つの要素が集まることもあれば、散らばることもある。それが歴史であり、それが私たちが住むこの地上のアリーナでのドラマではないでしょうか。単一な世界を目指すのが世界の目的というわけではなく。「四集」でなく「三集」「二集」だったり。でも、もしかしたら「四集」になったり。あるいは無理して「四集」した単一性だったり。ひとつが欠けて現れ出ないとか。むしろそれで個々の場の特性が生まれてくるのだろうし、我々が生きている日常の場はそうした世界にあると思うんです。
だから、「都市のあとに来るもの」を「大地」「天空」「神的なものたち」「死すべき者たち」の四者がひとつに合体したものとイメージしてもいいけれど、ひとつの要素がはぐれて「三集」だったりするかもしれません。「四集」と「四散」を二つの極点として、その二つに向かうベクトルが波のように揺れ動くものとして世界の動きを把握したい。それに僕たちがいる地球には、「死すべき者たち」ではない者たちも隣にたくさんいますし、遠くにあるかと思えば体内にいたりもする。深大寺の森や植物公園や僕の家の庭の植物たちは、大地に根を張れば、天空に向かって芽を出しますし、ここに天空から降り注いだ雨水は大地に浸透して地下を流れては、地上に湧き出て集まって川となって、見知らぬ町へと流れ出ていく。
都市は人間が住む街でもあれば、人間ではないものたちも同時に集合したアセンブリでもあることは、広く認識されるようになってきただろうけれど、どこかぼんやりした話というか、ただの現状追認にもなりやすい。僕はハイデガーの「四集界」の概念を変形した「四集」⇔「四散」の世界を考えることで、「都市のあとに来るもの」を探っていこうとしています。
榑沼先生が絶えず表象文化論をやっていらっしゃるのは、小さい頃からすでに表象そのものを縫い合わせていくことで、ご自身の行動原理へとつなげているからなのですね。
榑沼 確かにそうかもしれません。中学生の頃にSONYの「ウォークマン」が流行った時も、京王線や井の頭線の車窓の風景とヘッドホンから聴こえる音楽を頭の中でリミックスしたり、バラバラなものを集めることは無自覚にやっていたかもしれません。歩いたり、乗り物に乗ったり、そこにさらに映像や音を通して縫い合わせていくことを日常生活の中で営んできたように思います。ただ、表象文化論を専攻したのは大学院からで、学部時代は科学史、科学哲学ですし、大学入学時は外交の仕事、あるいは戦争史含めた外交史を一番に意識していたんです、実は。先ほどまで語ってきたようなことも、自身の行動原理のひとつの地層ではあるとは思うのですが、その地層の底には世界史と家族史にあけられた闇の穴というか、シベリア抑留から戻らなかった母の父のことなどもあって。このあたりのことは十年ほど前になりますが、少し書いたこともあります(「ふるさと、僕はまずここで(逆立ちして)見ることから学んでゆくつもりだ」、10+1 web site、201301 ISSUE、特集:2012–2013年の都市・建築・言葉 アンケート)。
自分の仕事で直接向き合うことは避けてきたけれど、自分のしていることがどうしてもその闇の穴に追いつかないという感覚は拭えない。直接にシベリア抑留の研究をすれば自分にとって良いのかというと、なぜかそうは思えない。けれども、他の何をやっても究極的には、自分にとって意味がないというか価値がないというか。他にも無人地帯と化した石巻の港湾部を2011年5月に歩いてからのこととか、福島第一原子力発電所の爆発音を生の耳で聴いてしまった人の目に直面してからのこととかも重なったりして、虚無からどう出直せるのかと、いつもそういう感じになってしまうところがあります。ただ、様々な虚無を前にしても、そこに呑み込まれそうになっても、探求を大きく進めていった人たちがいるわけで、自分も生きている以上は何か意味あるものをつかみ出そうとする「もがき」、ダーウィン『種の起源』に出てくる言葉で言ってみれば、「struggle for life」はやめたくない。「都市のあとに来るもの」を考えようとするのも、「著しい遅れを見せ、その遅れが人類世界の大きなネックとなりつつあるのが、政治、社会の分野ではないかと思う」という小松左京の言葉(小松左京「地球社会学の構想」、『小松左京全集35』、イオ、2019年)や、「未来のシナリオはまだ作られていない」というアンリ・ルフェーブル、『都市革命』の言葉に押されてのことでもあるんです。
今日ここに持ってきた『都市革命』(晶文社、1974年)の中で、著者のアンリ・ルフェーブル(1902–1991)は「社会の完全な都市化(l’urbanisation complète de la société)」を予言しています。
「都市(ville, cité)」というかぎられたものではなく、全面化した「都市社会(société urbaine)」なるものが、「今日では潜在的だが明日になれば現実となる」のだと。『都市革命』原著の刊行は1970年。そしてルフェーブルは80年代終わりになると、惑星規模の変貌の中で「都市」は道を失ってしまうと書くことになりますが、僕が注目したいのは、『都市革命』で示されたこの図なんですね。0と100%を左右の端に置き、そのあいだに線が引かれている(下図)。
ここでルフェーブルは、0から100へ向かう矢印を書いてはいません。逆に0へと向かう矢印があるわけでもなく。ただ、ルフェーブルによれば100%が「完全な都市化」であり、0は「都市化の不在」、「純粋な自然」を指している。僕はこの図を大事なものと受け取りながらも、やはり異論があるんです。と言うのも、たとえ矢印を0から100に向けて描かなかったとしても、ルフェーブルの図式のままだと、0という「純粋な自然」から100の「完全な都市化」に向かう歴史のイメージに囚われてしまう。そうイメージした瞬間に「都市のあとに来るもの」や、都市を超えるものを想像することができなくなってしまうのではないか。都市ではないものや、都市の別の可能性を考える時も、これだとすべてが自然に戻ってしまうことになる。あるいは「社会の完全な都市化」としての「都市社会」と「純粋な自然」なるものとのあいだを、行ったり来たりするだけの想像力しか残されていないように思うのですね。
例えば、吉本隆明さんの『全南島論』(作品社、2016年)では国家から脱出を図るために、国家を超えた世界都市と南島、あるいはアフリカにいかに賭けるか、といったことが語られています。
また横尾忠則さんがアートワークを手掛けたマイルス・デイヴィス『アガルタ』のジャケットは、マンハッタンのような超高層ビルが放つ人工世界のきらめきに、珊瑚礁やジャングルの密林が組み合わされたビジュアルです。
吉本さんの議論も横尾さんの絵もそれぞれ魅力的ではあるんですよ。けれど、果たしてそれが「都市のあとに来るもの」なのか。それらが魅力的であればあるほど逆に、僕たちは「都市のあとに来るもの」を想像することから遠ざかっていく。
こうした図式やイメージの前提になっているのは、『都市科学事典』(横浜国立大学都市科学部編、春風社、2021年)の項目「非都市のエレメンツ―この惑星を構成するものたち、そして水の法」でも書きましたが、都市を自然から区別した上で、大自然、「純粋な自然」から近代都市、現代都市へと向かう歴史の階段でしょう。だから都市を超えるもの自体、「都市のあとに来るもの」自体をイメージする道はふさがれてしまう。そこに残された可能性は、『アガルタ』のジャケットのように大自然を大都市に混ぜ合わせるか、よくあるヴィジョンのように、ほどよい「自然」を「都市社会」に混ぜ合わせるか、そこで止まってしまうのです。それを超えて僕たちは「未来のシナリオ」をつくらないといけないと思います。
まずは0=自然、100=都市社会という図式を捨てることから始めてはどうでしょうか。自然と思われるものでも人工と思われるものでも、そのどちらでもあると思えるものでも、とにかく色々な要素が四散しているのが0、四集して単一性をなしているのが100。そして100なら良いとか0なら悪いとか、100なら悪くて0なら良いとか、そうは捉えない。「都市のあとに来るもの」を考える時も、0から100に向かうというのではなく、複数の要素が互いに映し合う「四集界」や「三集界」を、世界を色々なスペクトルの姿で示しながら考えてみたい。すると0にだって「死すべき者たち」、人間がいてもいいし、100にだって「大地」「天空」が不可欠なんです。そうでないと「四集界」は緊密な単一性をつくれないのですから。
『都市革命』のあと1974年に出した『空間の生産』(斎藤日出治訳、青木書店、2000年)の中でルフェーブルは、地球規模で広がる人類の空間を人類の「作品」として制作すること、それが近い将来、重要になるとも予言していました。こうした地球規模の空間をつくっていくことが、我々の日常生活を変容させるための社会基盤なんだと。ただ、僕が読んだかぎりでは、それがどのような「作品」なのか、どのような「空間」なのかルフェーブルは書いていない。「完全な都市化」の結果生じる「都市社会」が、どうしたら価値ある人類の「作品」になり得るのかということだけでも、ルフェーブルはどう考えていたのか知りたいところです。
けれども「完全な都市化」「都市社会」の出現をルフェーブルは100で示しているので、当然の成り行きとして、都市を超えるもの、あるいは「都市社会」を超えるもの、そして「都市のあとに来るもの」を考えることはできないはずです。とはいえ、『都市革命』から引き継ぐべきところは他にもあって、それは都市的なるものは「集める」ことを本質にしているということ、そして「集める」かぎりどの地点でも「中枢」になれるという論点なんです。ルフェーブルはハイデガーに関心を持っていたにもかかわらず、展開を見せてくれないのですが、こう考えていくと、もうハイデガーの「四集界」の哲学が見えてくるのではないか。
そうなると、改めて都市は何を集めるのかが問題になってきますし、「都市のあとに来るもの」を具体的に考えることができるようになる。現代都市を超えて、何をどう集めるのか、何がどう集まって来るのかと具体的に問うことができるわけです。そして、「都市のあとに来るもの」はルフェーブルが提唱した「都市社会」ではなく、まずはハイデガーの「世界」の意味での世界であり、それを人間が「都市」と認識し続けるなら、それを「都市世界」と表現し続けても良いと思います。ただし、どこでも「四集界」「三集界」の中枢になることができる、という条件付きで。
都市と都市計画は違うものだと、ルフェーブルは常に強調しています。測り得ない都市が存在するかぎり、計画だけでは都市世界にはならないのだと思っているからです。このようにして都市計画を批判していますが、おそらく彼にとって「都市的なるもの」とは、測り得ない巨大なものであってほしいと思っていたからなのかもしれません。
榑沼 ルイス・カーンが建築は「測り得ないものと共に始まり」、設計や施工では「測り得るもの」を経る必要があるけれど、「最終的には測り得ないものとならなければならない」(アレクサンドラ・ティン『ビギニングス―ルイス・カーンの人と建築』、香山壽夫・小林克弘訳、丸善、1986年)と語るのを延長して、都市は「測り得ないものと共に始まり」、そして「最終的には測り得ないものとならなければならない」と言いたい。「都市のあとに来るもの」を僕はこの水準で考えたいのです。
ルフェーブルもハイデガーもたくさんのことを教えてくれますが、ルフェーブルは惑星規模の「都市社会」の到来を宣言することと、地球規模の空間を人類の「作品」にする必要があると提言することで議論を終わらせてしまいます。それに自然と人工を区分した上での都市化の図式が、都市を超えた未来を構想できないという限界をつくってしまっている。一方でハイデガーは、四つの要素のそれぞれをとても具体的に語っているんですが、四集の単一性といった部分に引きずられてしまうと、「四集界」の概念が持ちえたはずの、四散四集が生み出す歴史やドラマを見逃してしまうことになる。ハイデガーの哲学を額面通りに読んだだけでは、僕たちが生きている都市の日常生活について語ることも難しいし、「都市のあとに来るもの」を具体的に構想することもできない。集まる/集めることの可能性について突き詰めていかなければ、ハイデガーの議論は生きてこないんです。
集まる/集めることに関して言えば、菌類、キノコ類、そして地衣類の存在も面白いですよ。植物の種子の移動もキノコの胞子の移動も、おそらくは地衣類の中に集まっている菌の移動も、様々な風の動き、空気の流れだけでなく、人間や他の生き物や商品やさまざまな事物の移動にくっついてきたり、土壌が色々とかき混ぜられたりすることに伴って行われている。植物の種子はある環境条件が合わないと発芽しませんが、菌類も同じように我々の目には見えない姿で移動しながら生存しているのでしょう。いつだったかNHKのEテレで放映している「サイエンスZERO」を子どもと見ていたら、森の中で空中散布されたあと、風によって上空まで飛翔していくキノコの胞子たちの存在を知りました。種子だけではなく胞子たちも惑星規模で冒険しているイメージが、自分の中で膨らんでくるようになったんです。そもそも外来種は英語だと「adventive plants」、なので冒険者なんですよね。僕が今住んでいる信州、軽井沢の家の隣の森を散策していても、「こんなのあったっけ?」と首を傾げたくなるようなキノコとか、珍しい花々に出くわしたりします。そして地衣類は庭の木々にもあちこちに付いていて、まさに「木毛(コケ)」だし、浅間山の山麓を流れる渓流沿いの森を歩いていても見かけるし、本学のキャンパスがある常盤台にもたくさんいるし、横浜や六本木の都市部を歩いていても見かけます。見ようとしないかぎり目に留まらないんですが、この地衣類によって「移動する森」といったイメージが僕の中に湧いてきたんです。
ついでに言えば、地衣類は染料に使われたり、お茶に入れられたり。またこの前は、おそらく地衣類の入ったチャーハン、ビリヤニを食べました。こうした食材のほか、以前は環境色料として「リトマスゴケ」からリトマス試験紙もつくられていたそうです。また地衣類は狩野派の画に描かれていたりもしています(図 )。さらには工業社会化によって硫黄酸化物や窒素酸化物が大気を汚染するようになると、どこにもいるはずの地衣類なのに、それがいない「地衣類砂漠」ができてしまう。そこで逆に地衣類は環境指標にもなるようです。キノコもそうですが、放射性物質の吸収具合なども研究されているようです。地衣類たちは、もはや今の我々にとって目に入って仕方のない存在になりつつあるのではないか。入手したばかりでまだ読めていない地衣類論(Vincent Zonca, Lichens: Pour une résistance minimale, Le Pommier, 2021: Lichens: Toward a Minimal Resistance, Polity, 2023)を来年度の授業で取り上げたり、生物学や生化学や生態学の最新の研究を参照したりしながら、もっと地衣類について学びたいと思っているところです。
あちこちに地衣類が集まっているということなんですね。
榑沼 そもそも地衣類というものは、藻類と菌類の共生体なんです。そこが蘚苔類の苔(コケ)と大きく違うところで。19世紀後半のドイツにハインリヒ・アントン・ド・バリー(1831–1888)という学者がいて、「共生の現象」(Die Erscheinung der Symbiose、1879年)という論文の中で、地衣類の研究から「共生(Symbiose)」の概念を立てています。ド・バリーは植物病理学の先駆者だと言われています。というのも当時のアイルランドでは、痩せた土地でも育つジャガイモの栽培がそこかしこで行われていました。ところがジャガイモの伝染病によって、人々は一気に餓死や病に追い込まれてしまい、その結果、国外へと出て行く移民を生むことになった。のちにド・バリーの手によってその病は解明され、植物を治療することになるんですが、彼は地衣類についても詳しく調べていたんです。「共生」を一種の病として見ていたのかどうか。少なくとも、どのような異変が類を超えた集合体をつくり出したのか、という視線があったのかもしれません。いずれにしても「共生」という重要概念の起源は、この地衣類にあるわけです。
何にしても、ひとたび「共生」がつくられてしまえば、利点が目立つことになるでしょう。「共生」が解消されない以上、何かしらの利点が双方に、あるいは片方にあるというように。地衣類という共生体の要素である菌類は、藻類を両方から挟み込むようにして、藻類を乾燥や紫外線から守ってくれるので、日差しが強い南向きの駐車場の壁などにも生息することができます。対して藻類は光合成を行うので、菌類はそこから栄養をもらうことができます。こうした利益を結び合わせて、藻類と菌類との共生体が形作られてはいるのでしょう。最近はこうした二者関係だけではなく、細菌類も合生された複合体とも認識されていて、地衣類の個体をひとつの生態系と見なそうとする動きもあるようです。
ただ、僕としては「共生」を自然な成り行きとして捉えるよりも、なぜこういうことをわざわざやっているのだろうかと、まずは不自然なものとして見つめたいんです。不自然で、不思議なものとして。「生態系」と聞けば、どこか美しくて均整の取れたイメージを人は持つかもしれません。けれども「生態系」というものはそもそも、誰が強くて弱いのかを階層化したり、食物連鎖で言えば食うか食われるかを配分したりするシステムなのではないか。だとすれば、こうした「生態系」のような階層システムあるいは階層社会は、どこでも「四集界」「三集界」の中枢になることができる「都市のあとに来るもの」、その意味での「都市世界」とは区別されるはずです。
僕は階層化すべてを否定しているわけではなく、色々な階層秩序があるからこそ細胞から意識から組織までが成り立っているのでしょう。ただ同時に例えば、冒険して飛んでいく胞子たちや種子たちは、どこかこうした「生態系」から脱走しているように思えるんですね。着地したところで芽が出るかどうかも分かりませんし、状況によっては危険性を孕んでいるのかもしれない。まさに脱生態系の冒険者たち。かたや、今の都市の多くは階層社会の中に取り込まれすぎている。都市という前に、我々人間自体にしても。横浜にしても「日本の中の横浜」、もしくは「日本の中の神奈川の中の横浜」というように。「日本」にしても国際社会の中の日本国にすぎなくて。つまり国際社会をつくっているそれぞれの国家の領土、領地、領海があり、その中にすべてが同心円状に収まっていくイメージです。
ここで都市的なものや「都市のあとに来るもの」をめぐる話に戻ると、それらの「世界」の本質というものは、何かが集まり、何かを集めることにある。ただし、階層社会のパワーアップのためにエネルギーや利潤や人間を集めるだけではなく、何よりも重要なのは大地、天空、神々、有限性や死を知るものたちから、人間が何をどのように集めて、アッサンブラージュにするかということではないでしょうか。地衣類たちだってそれぞれの個体は、生態系の中での藻類から脱走してしまったものたちと、生態系の中での菌類から脱走してしまったものたちが遭遇して、集合した結果かもしれません。集合して交渉する中で、再び藻類のような生き方と菌類のような生き方を採ったものが、地衣類という共生体なのかもしれない。
「都市のあとに来るもの」があるとすれば、それは地衣類たちのように脱生態系、脱階層化、脱同心円状化したものが集まってできるものではないか。これは何も未来の話ではなく、今この人間の歴史と同時進行しているプロセスです。こうした惑星規模の集まる/集めるプロセスを「四集界」の概念と合わせて、「都市のあとに来るもの」として把握してみたいのです。19世紀後半、人間に共生の概念を教えた地衣類は、21世紀前半、人間に都市も自然も超える世界、「都市のあとに来るもの」のモデルを見せてくれるのではないか。地衣類はひとつの例ですが、人間はこうした地衣類にどう応答していくのか、知らずして贈ってくれたモデルにどう応答できるのか、今そのことを問われているように感じています。
集まる/集めることはひとつの都市世界を統合していく運動として、そこに向かわざるを得ない人間の性なのかもしれません。同時にこの世界は、並行して四散四集の動きも孕んでいる。「都市のあとに来るもの」について考えるならば、それらに応答する人間もいなければならないということですね。
榑沼 ここで観ていただきたいのは、ハンス・ホルバイン(1498–1543)の絵画で一番有名な『大使たち』(1533年)です(下図)。ロンドンのトラファルガー広場に面したナショナルギャラリーに展示されている大きな絵で、描かれた二人のあいだに、何だかよく分からないものが描かれていますよね。けれども斜めから見ると死の象徴であるドクロの姿が浮かんで見えてきます。ここで地衣類について考えた時に、この「アナモルフォーズ」(歪像)のドクロに当たるものが、人間の普段のパースペクティブからは見過ごされてしまう地衣類の存在ではないかと思ったんです。目に入ったとしても汚れや染みのように見えるし、目についてしまうと今度は、樹木を枯らす病気と間違えられて邪魔扱いされてしまう。そして除去されてしまったり清掃されてしまったり。ところが、この染みのような地衣類はドクロのアナモルフォーズ(歪像)のように、それに一旦気付いてしまうと、気になって気になって仕方のないものになる。それぞれの個体は小さなものたちではあるけれど、あちこちに点在するディアスポラなものでもある。そしてドクロと違って、それが表現するものは死ではなく生です。
この地衣類たちへの眼差しをとっても、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817–1862)はすごいですよ。アメリカ合衆国が帝国化、そして都市化していく時代に、ソローはド・バリーに先立って地衣類に密着していて、「地衣の思考には今なお私たちに付着しているものがある(Some lichenous thoughts still adhere to us)」(1853年12月29日)と書いているんですから。地衣類たちの姿を庭や森や街中で追いながら、そしてソローの日記を読みながら、僕はインターネットの「World Wide Web」とは異なる「World Wide Forests」(WWF)という新たな概念を立て、そのネットワークを追いかける必要があると感じ始めています。地衣類たちも、この「World Wide Forests」の世界の住人なんですね。人間中心のパースペクティブからすれば染みのような「すみっこたち」でありながら、大陸を横断して分散する「World Wide Forests」の要素であり、大集合すればアメリカ合衆国や中華人民共和国の領土よりも広い「地衣国(Lichen Nation)」を構成するというわけです。
YEARBOOK2021-2022(菊本統+榑沼範久「地盤の表象化とモデル化について」)ではナマズの議論などを含め、人間の可能性の中心を表象によって捉えるんだというお話に感動しました。科学も人間の表象的想像力の賜物のひとつで、表象的想像力を持たなければ数学も生まれていなかったし、物理学も生まれてこなかったと思います。人間が何かを生み出す時には、人間にしか想像できない表象的想像力が必ずあるんだということを痛感しています。
榑沼 最近気になった作品に、クリフォード・シマックのSF小説『都市―ある未来叙事詩―』(林克己・福島正美・三田村裕訳、ハヤカワ・ファンタジイ3022、早川書房、1960年)があります。原題はずばり「CITY」なんですが、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国で連載されていたもので、集成されて1952年に出版されました。1952年というと「日本国との平和条約」、通称「サンフランシスコ平和条約」が発効した年であり、翌年にはニューヨークの国際連合総会でアイゼンハワー大統領が「平和のための原子力(Atoms for Peace)」の演説を、ミュンヘンではハイデガーが「技術への問い(Die Frage nach der Technik)」の講演を行っています。このシマック『都市』の舞台は、そもそも人間がいなくなった世界なんです。それは人類とともに進化してきたらしい犬たちの世界で、冒頭では犬類たちが冬の寒い日に暖炉を囲み、大人の犬たちから子犬たちに向けて物語が聞かされています。そこにはかつて存在していた人間たちの話も出てきて、子犬たちは「人間ってなあに?」「都市ってなあに?」「戦争ってなあに?」と尋ねるのですね。
人間もいなければ都市も存在しない。また戦争さえ起こっていません。だけどそこには犬類たちを始め、ロボットたちやミュータントたち、さらにはミュータントたちに動員されたアリたちも生きている。その中でロボットたちは、遠い遠い過去に自分たちが仕えていた人間たちの話をします。人間たちは第二次世界大戦で大きな犠牲を払い、結果として今は都市のあらゆる文明から接触を断った生活をしているのだと。設定としてはあくまでも犬類たちが中心の世界ではあります。しかしロボットたちはこの状況においてでさえ、自分たちのたどり着けないところまで人間は行ける気がしてならないと犬たちに話すんです。文明との接触を失ってしまった今、人間はもう一度、この世界で何が起きているのかを知らなければいけない、もう一度、文明世界と関わる必要があるのだと。この文明世界は、小説の題名にもなっている「都市」の世界でもあるはずです。今日はこの本を持ってきていないし、すごくあらい紹介になってしまっているのですが、シマックの『都市』を僕はとても気に入って、「都市のあとに来るもの」を探る今年度の授業で何度か語りました。6月なのにすでに夏日で、7月上旬に猛暑日が続いていたころ、非常勤で続けている東京藝術大学の「メディア概論」の帰り道、上野駅の構内の文具店のガラス越しに、ハヤカワ・ポケット・ファンタジイ・ブックの古本が並んでいるのが目に入って。店先に置いてある30冊ほどの中から選んだのがシマックの『都市』だったんです。
最後に学生へ向けてメッセージをお願いします。
榑沼 映画『メッセージ』(原題:ARRIVAL、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2016年、原作:テッド・チャン「あなたの人生の物語」、2000年)でも、未知のものたちが地球に到来した時に道を開いてくれたのは、勇気をもって防護服を脱ぎ、未知のものたちに書いて見せた「HUMAN」という言葉、そしてその言葉に込められた相手への想いでした。
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僕は強く思うんですよ。これまでの人間の社会、これまでの人間の都市は、何か「別のもの」に脱皮する必要があるのだと。そうした地球世界史の局面に、きっと私たちはいるのだと。けれども同時に、この21世紀に至ってもなお、人間には何かしら奥深いものがあると僕は感じています。ただ、「四集界」の哲学も示しているように、その奥深いところには人間だけの力ではたどり着けないのです。だから「都市のあとに来るもの」もまた、人間にしかつくることはできないけれど、同時に人間だけではつくれないものなのです。
1968年生まれ。芸術論、哲学。建築都市文化専攻Y-GSC教授。著書に『都市は揺れている―五つの対話』(共編著、東信堂、2020年)など。論考に「海神の姫から見た世界──海道、人神性、超自然契約」(『常盤台人間文化論叢』第6号、2020年)、「20世紀の文化における宇宙的なものの上昇―宇宙機械と人新世の通夜=覚醒のために」(『常盤台人間文化論叢』第4号、2018年)、「2000年──ボナール、絵画空間の冒険(2000: Bonnard, or A Pictorial Space Odyssey)」(『ピエール・ボナール展』図録、国立新美術館、日本経済新聞社、2018年)、「間人の条件──オイコス/エコロジー空間とその彼岸」(10+1 website、2017年8月)などがある。