IUIピックアップ VOL.17

人間の場所をつくること
―これからの都市と建築、あるいは文理融合とともに

インタビュー

西沢 立衛[建築家/Y-GSA教授]

Interview with

Ryue NISHIZAWA

都市イノベーション学府・研究院は、2011年のスタートから今年で11年目* (YEARBOOK2021-2022掲載時)を迎えました。設置当初から都市を大きなテーマに掲げ、理論と実践、文理融合を試行錯誤してきています。国内外を問わず多くの都市と向き合い、数多くの建築作品に携わってこられた西沢立衛先生の目には、一体どのような都市像が次なるビジョンとして立ち現れているのか。都市イノベーションの次の10年に向けて、これからの都市や建築、文理融合の可能性、そもそも「人間の場所」とはどうあるべきなのか、ということについてお話を伺いました。
聞き手|藤原徹平[建築家/Y-GSA准教授]
写真|白浜哲

文理融合の本学府・研究院がスタートして11年目*を迎え、次の20年目に向けてどのようなことについて考えていくべきかをお聞きしたいと思います。YEARBOOKでは7年*ほど前に一度お話を伺いましたが、そのときは「都市というテーマ自体が興味深い」とおっしゃっていました。

西沢 今までいろんな建築家や都市計画家が、理想の都市を提案してきました。村や国でなく、または島とか山、大陸という自然の単位でもなく、よりよい社会を都市という大きさで描く提案が、圧倒的に多かった。たぶん都市というまとまりが、人間の理想社会をわかりやすく示すのにもっとも適していたのではないか、と思うんです。今21世紀においてもなお、都市が人間世界のモデルとしてもっとも有用なものになりうるのというのは、面白いと思います。
ただ、都市とひとことで言っても、その内容は今と昔とではずいぶん違ってきたと思います。まずサイズが全然違う。コルビュジエの最初の都市計画は「300万人の都市」でしたが、今の世界の大都市は1000万、2000万という人口を抱えています。また20世紀に提案された都市の多くは、いわば人工都市でしたが、今人々が想像する都市は、半分以上が自然であるような集合です。また昨今のリモートワークなどに見られるように、都市というものの範囲が見えなくなってきた。また、20世紀の都市の多くはゼロから計画する計画都市でしたが、今はどちらかというとリノベーション的というか、歴史都市が主要なテーマになりつつあると思います。いろいろなことが変わりましたが、都市というものは21世紀においてもなお問題であり続けるのではないかなと思います。

その面白さとは、西沢先生の中で直感的なものだったのでしょうか。

西沢 僕の興味もさることながら、世界的な関心ごとだと思いますし、横浜国立大学の場合は、建築学科の伝統として、歴史と都市を重んじるというものがあったんです。建築を単体のものとして扱うというよりは、歴史や都市というコンテクストの中で建築を捉えるという考え方です。
近代日本の大学教育では、建築設計と都市計画は工学部に分類されました。なので、近代都市や建築をどう作るかということの工学的研究は、ずいぶん発展しました。他方で、都市や建築が持つ威力というか、それが人々に与える影響、自然に与える影響ということについては、それほど研究されてこなかったと思います。たとえば巨大建築物があるとして、それが人間の心理や精神にどういう影響を及ぼすかということは、はっきりしたことがわからない。巨大ビルが我が家の目の前に立つと、その住人の住環境は著しく変わるわけですが、それがその住人やまたはコミュニティにどんな影響があるのか、よく評価できないわけですね。
心的影響だけでなく、巨大都市が地域の文化にどう影響を与えるのか、建築と都市の文明的な力、都市が自然環境や生態系に与える影響など、いろんな研究がこれから盛んになってゆくのではないかと思います。それらはどれも工学的な検討課題でありつつ、さらにそれを超えて人間の知全体というか、全学的な研究になってゆく問題ではないかと思います。

妹島和世、西沢立衛『KAZUYO SEJIMA RYUE NISHIZAWA SANAA 1987-2005 Vol. 1 / 2005-2015 Vol. 2 / 2014-2021 Vol. 3』(TOTO出版、2021年)
妹島和世、西沢立衛『KAZUYO SEJIMA RYUE NISHIZAWA SANAA 1987-2005 Vol. 1 / 2005-2015 Vol. 2 / 2014-2021 Vol. 3』(TOTO出版、2021年)

自然科学と人文科学を融合したものとして都市を考えていくと、そこに面白さが見えてくるということですね。

西沢 そうですね。都市を人間の世界だと考えるとき、より総合的なアプローチが必要になるのだと思います。
建築設計をやっていてこれは重要だなと思う問題はいっぱいあるけれど、ひとつ無視できないのは、「人間の場所をつくる」という問題です。「人間の場所をどうつくるか」というとき、工学的アプローチだと、最低限ウン㎡必要ですねとか、換気量と採光はこのくらいというふうに計画します。質を量から考える。今の都市のすべての建築のすべての居室は、そのように作られました。そしてその多くが、人間にふさわしいとはいえない場所になっています。ルイス・カーンは「ルームは心の場所だ」と言いましたが、心の場所というのはいったいどうやって作るのか。人間も猫も家に住み、家を愛しますが、この愛というのは、建築の形によって左右されるものなのか。愛というのはいわば人間と建築の関係性なのですが、建築はそれに影響を与えているのかいないのか。
モダニズムの時代、心や愛ということは建築・都市の課題にはなかなかならない問題で、もちろんカーンやライト、コルビュジエ、アアルト、何人かの偉大な建築家は、それが建築と都市の最重要課題のひとつであることを知っていて、そのような建築を作りましたが、しかしアカデミズムの研究としてはいくつかの論文が残るのみで、それほど発展したとはいえないと思います。

全学的な内容の中に愛情や心理まで入って来たとき、教育や研究ではその体系をいまだ持ちえていないような気もしていて、どういう形でアプローチしていけばいいのだろうかと思うことがあります。

西沢 分析的なアプローチと総合的なアプローチというものをどう考えるか、という問題はひとつあると思うんです。総合的といってもいろんな例があると思うので簡単にはまとめられないですが、たとえばル・コルビュジエの都市計画を考えると、いろいろ重要な点はあるわけですが、ひとつコルビュジエが特別だったと思うのは、彼は大都市の中心に人間を置いたのです。もちろんコルビュジエの前にも後にもそういう例はあって、コルビュジエが『建築をめざして』(1923年)の中で言及しているトニ・ガルニエの「工業都市」もそのひとつで、いくつか先行例はあるのです。しかしそれらはどれも、標準的人間というか、機械的、機能的な感じなんですね。でもコルビュジエが中心に置いた人間というのは、ロボットではなくて、野人でした。またそれは一般市民ではなくて、感情と誇りを持った一人の人間でした。コルビュジエが描いたモデュロールマンとレオナルドが描いた理性的人間は、どっちも理想的人間像なのですが、その違いがすごくて、レオナルドの人間は八頭身で美しく、科学的というか数学的というか、宇宙の法則という感じの人間で、他方モデュロールマンのほうは、腕を高くふり上げて、筋肉がぐわっともりあがって、野獣的なんです。生命力そのものみたいな人間で、それをコルビュジエは都市の中央に置いた。人間中心主義のアイデアの面白いところは、そのまま拡大可能というところです。人間を中心にしてひとつの部屋をつくるとき、インテリアや家具・設備の配置をバラバラに考えるのでなく、その人間を中心として、有機的な全体をつくるような形で考えるわけです。そのやりかたで、人間を中心として建築を作り、街区を作り、大都市をつくる。どんどん広がってゆくんですね。どれだけ巨大なものでも、部分部分を一体のものとして考えることができるのです。都市のような巨大物を考えるとき、それはしばしば分析的になり、また分業的にもなるのですが、たとえば土地は土木がつくり、敷地は都市計画がつくり、建物は建築計画で作る、というようになりますが、もちろんコルビュジエの都市も細かくいろいろ各論があり、ディテールがあるわけですが、でも全体としてはひとつというか、総合的といいたくなるような一体性がありました。それは中心にあの人間がいたということが大きかったと思います。
21世紀は人間中心主義を土台としつつも、もっと多様な世界になる。いろんな人間、いろんな生き物、環境とか生態系といった問題が入ってきます。ある種の多中心的世界になると思うので、総合性はますます重要になると思います。

YNU

コルビュジエが都市の中心に人間の世界観を置いたことで、総合や統合といったものが人間の思考を通じて生まれたという今のご指摘は、とても重要だなと思います。意見はひとつにならないかもしれませんが、大学においては総合化や統合化について、あるいは我々が目指すべき都市について議論を交わし続けなければならないなと思いました。

西沢 どの専門分野であっても、自身の専門領域を深めてゆくことで、その専門領域の外の、専門外の分野までをも含んだ大きな世界観にたどり着くことになるのではないか、と思うんです。建築であれば、家一軒のことを考えるうちに、前面道路や隣近所が問題になり、町や地域が問題になっていく。建物ひとつからはじまって世界全体への興味が生まれてゆく。世界全体から見れば建築はほんの一部分なわけですが、でもその建築という一部分を考えることは、世界全体にたどり着く道だと思うんです。
80年代に原広司さんが様相論というものを提唱しました。建築や都市の様相に着目するのです。雰囲気とか、現れとか。様相が面白いのは、たとえば赤ちゃんがわーっと泣くとき、その様子を見た親が、赤ちゃんの危機を悟る。言葉を使わないのにメッセージが伝わるのです。意味伝達ということからいえば、言葉で分析的に説明するよりも、様相を用いたほうが手っ取り早い。人相や手相もそういう感じで、友人の顔を見て体調が悪そうだなと思うとき、何にも分析していないわけですね。血液検査したり、各臓器を見たりせずに体調の悪さを感じる。それは分析ではなく、総合の力です。総合と分析はどちらも人間の力で、様相論はそれを鋭く使っているなと思います。モダニズムの時代は建築を分析的に見るほうが優勢でしたが、それに対して様相論は、建築を総合的に見る視点があると思います。この界隈は容積率がこうだとか人口密度とか、いろいろ分析できるけど、総合的に見てこうだ、というような。

様相論という総合的な思考を加えることで、分析としての行いが統合的なプロセスへと発展していくということですね。

西沢 または逆に、総合力が分析力に還元されることもあると思います。総合と分析の両方が有機的に交流し合うというのは重要なのだろうなと思います。

クリストファー・アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』(1977年)は分析的で言語的ですが、敷地を越えて全部が柱のような理論で展開されています。時代のさまざまな計画が統合している様相なので、それをひとつの計画論として昇華することは難しいかもしれませんが、都市をつくるための道筋としてはできつつありますよね。

西沢 『パタン・ランゲージ』も、分析的でありかつ総合でもあるという面があって、面白いですね。パタン・ランゲージを日本語に置き換えると「かたち言葉」と言える。形やモノは言葉でありメディアでもある、ということです。建築設計をやっているとお施主さんや建物を使う人たちと議論することが多く、たとえば建築家が「一階をオープンにしましょう」と言葉で提案するとして、お施主さんが、しかしガラス張りはいやだなと、いやガラスじゃなくて開閉式で、鍵がついて、開口の大きさは2mで、と言葉で説明しても、なかなかイメージが共有できなかったりするんですが、でもたとえばその提案を模型で見せて、「こういう感じです」というと、「ああこれか」と、すぐ伝わったりする。模型はモノなので、総合的なことを伝えるんです。言葉ですごく長く説明してもなかなか伝わらないことが伝わるんです。
あと重要なのは、パタン・ランゲージの素晴らしいところのひとつはその背後に多元主義があることです。アメリカの多民族国家的価値観がある。他者と共有できるものは何かを考えて出てきた、普遍主義への信頼みたいなものがありますね。

妹島和世、西沢立衛『KAZUYO SEJIMA RYUE NISHIZAWA SANAA 1987-2005 Vol. 1 / 2005-2015 Vol. 2 / 2014-2021 Vol. 3』(TOTO出版、2021年)
妹島和世、西沢立衛『KAZUYO SEJIMA RYUE NISHIZAWA SANAA 1987-2005 Vol. 1 / 2005-2015 Vol. 2 / 2014-2021 Vol. 3』(TOTO出版、2021年)

西沢先生はさまざまな都市でプロジェクトに携わるたびに、都市との出会いが面白いとおっしゃっています。たとえば京都のプロジェクトでは、その前後で京都のまちへの想いも全然違ったりしてくると思うのですが、ロシアやオーストラリアといった世界中の都市で建築を作ることに対して、毎回どのような試行錯誤をされているのでしょうか。

西沢 その街に合った建築を作りたいと思うけど、同時に我々は外国人だから、その町に昔からあるようなものを作ることも難しいから、その町に合った建築だけどどこかその町にはなかったような新鮮さを持っているものを目指している、ということになるのかな。
最近、中国の済寧(さいねい)という町で美術館を作りました。設計時は、外壁仕上げをアルミ板で考えていたのですが、同じ地域に孔廟があって見にいったら、見事なレンガで、すごくきれいなんです。現場で基礎工事が始まったときに、土を掘って、配管か何かのために2、30センチくらいのちょっとした段差ができて、そこを彼らはどこかからレンガを持ってきて土留めするんですね。日本人であれば木を使うようなところです。ちょっとしたこと、ぱっと簡単に手っ取り早く応急処置しようとするとき日本人は木でやるんですが、彼らはレンガでやる。それを見て、木や金属でなくレンガであれば、きれいに作れるんじゃないかと思って、床と壁をレンガに変更したんです。レンガの文化が現代社会にも生きているということを、土工事を見てようやく悟った。歴史や文化を理解するのはしばしば時間がかかると思います。設計しながら、現場に通いながら、同時並行で学んでいると思います。

済寧市美術館©西沢立衛建築設計事務所
済寧市美術館©西沢立衛建築設計事務所

単にストラクチャーの側面だけで都市を捉えると、バックミンスター・フラーと同じ考え方になってしまうので、違う見方を考えていかなければいけないということですよね。つまり都市という思考モデルを使うことで、違う学領域にジャンプしていくためのひとつのビジョンとして、これからの都市イノベーションは存在すべきなのだと思いました。

西沢 そうですね。他領域との触れ合いや交流が、自分の研究領域をより多角的に捉え直すきっかけになると思います。また都市という題材を各領域で共有することで、いろいろな創造的展開が生まれるように思います。
大学の活動、研究というものは、あんまり実戦的なものじゃないと思うんですね。なんだかよくわからない存在であっていいのかなとも思うんです。僕は若い頃、設計事務所で働いていて、あるとき大学に呼ばれて戻ってきました。ひさしぶりに大学に戻って来て驚いたのは、僕は設計事務所でずっと「すごい建築」を考えてきたわけだけど、それを考えるのに重要なことっていっぱいあって、たとえば法律とか、敷地とか、お施主さんとか、予算とか、構造とか、すごい建築を作るにあたって必須なものがいくつもあるんです。ところが大学にはそれらのどれもないんです。大学で建築を教えるとき、現実の敷地がなくて、架空の敷地すらないこともあります。またお施主さんもいなくて、予算もない。建築基準法もない。それまで僕が「すごい建築」を作ろうと思って頼りにしていた条件のほとんどすべてが大学にはない。なのに「すごい建築」は存在している。予算も敷地もお施主さんもないのに、創造的な建築ってどんなものだろうかということを考えることができるというのが驚きでした。それはたぶん、理念的なものの素晴らしさだと思うんです。設計事務所には、良い建築を作るという目的がある。目的的で実戦的な活動です。たぶん大学の研究はひとつの目的のための活動というより、今我々が知らない未知の目的を生み出してゆくような活動だと思います。

エンジニアリング思考ではなく、なんだかわからないものを皆で議論することに大学の役割を置いていったほうが、より一緒に学んでいく重要性が増していくのかもしれませんね。

西沢 そうですね。僕は大学で教える立場といいつつ、自分自身相当学んでいると思います。学生や先生から相当影響を受けていると思う。大学というところは生徒も先生も学ぶ、学びの共同体だと思います。建築学科の中だけでそうなのだから、大学全体での相互交流と影響は、ものすごい力になるのではないでしょうか。

Ryue NISHIZAWA
Ryue NISHIZAWA
1966年生まれ。建築デザイン。建築都市文化専攻Y-GSA教授。SANAA事務所共同代表、西沢立衛建築設計事務所代表。主な作品に「金沢21世紀美術館」(2004年)、「十和田市現代美術館」(2008年)、「ロレックス・ラーニングセンター」(2009年)、「豊島美術館」(2010年)、「ルーヴル・ランス」(2012年)、「済寧市美術館」(2019年)、「ラ・サマリテーヌ」(2020年)など。主な著書に『建築について話してみよう』(王国社、2007年)、『続・建築について話してみよう』(王国社、2012年)などがある。