IUIピックアップ VOL.16

都市の歴史を追体験すること

インタビュー

辻 大和[アジア史、朝鮮王朝史/都市地域社会コース准教授]

Interview with

Yamato TSUJI

辻大和先生は前近代の朝鮮半島と東アジアをフィールドに、生物と文化がもたらす資源的観点を基軸とした歴史学の研究をされています。どのような方法を通して過去の歴史を追体験し、これからの歴史学研究を進めていくことが可能となるのか。ショートビジットによって発見可能な都市の歴史を踏まえ、日々の教育の現場で生じているアナログとデジタルの諸問題についてお話を伺いました。
聞き手|藤原徹平[建築家/Y-GSA准教授]
写真|宮一紀

まずは辻先生の研究内容についてお聞かせください。

 朝鮮半島(韓国・朝鮮)、東アジアの歴史に関して、大きく分けてふたつの方面で研究しています。ひとつは博士論文や著書を通じて、17世紀に朝鮮王朝が中国との間で行った貿易、また最近では18、19世紀を含めた朝鮮と外国との国際貿易をテーマにしています。もうひとつは20世紀の韓国・朝鮮に関する資料、また映画やドラマといったコンテンツがどのように生まれたのかについて調べています。

そもそも歴史学に進もうと思われたきっかけは何だったのでしょうか。

 最初はアジアのことや言語学に関心があったのですが、その中でも「モノ」に関する研究をやりたいと思ったことがきっかけです。とくに森の中で採れる生物に関心がありまして、私の場合は薬用の朝鮮人参を始めとした生物資源をテーマにしてみようというのが学部生の時でした。最近は少なくなりましたが、一時期経済史が盛んだった頃は、モノに関する研究も多かったようです。

歴史学を資源的な観点から研究していくというのは、いつ頃から始められたのですか。

 再整理したのはかなり最近です。当初は朝鮮人参への興味でしたが、その後は韓国でどうやってドラマや映画ができているのかを考えたり、昔の研究者たちがどのようにフィールドワークを行ってきたのかを調べたりしていました。当時はあまり深く考えていなかったのですが、最近になってそれを資源の問題だと捉え直しました。というのも、さまざまな共同研究の場に呼んでいただく機会が増えたこともあり、その中で自分の研究を振り返ると、意外にも資源という共通項があるのだなと思ったのですね。現在進行形で言えば、薬草の共同研究が今のところ大きなウエイトを占めていて、アジアの中で朝鮮人参やシナモンなどの薬用植物がどうやって流通し、使われているのかということを調べています。朝鮮人参は薬の材料としての生物資源であり、20世紀の韓国や朝鮮に関する研究は文化資源にあたります。そのようにして天然のモノや人間が作り出したモノをどう資源化していったのかを研究するようになりました。

韓国錦山の市場で取引される朝鮮人蔘(2005年撮影)
韓国錦山の市場で取引される朝鮮人蔘(2005年撮影)

それらは文献から調べていくものなのでしょうか。

 文献はもちろんですが、その共同研究プロジェクトは農学者や地域研究者の方と一緒に取り組んでいます。もうひとつ、その関係であれば嗜好品の研究も行っています。タバコやアルコールのような嗜好品研究にも関わっていて、これは資源の話なのかもしれないと思っています。

歴史学研究の中で「資源」というキーワードが出てくるのは、普通ではないなという印象を受けます。

 私もそう思います。どちらかと言えば資源人類学ですよね。ただ、都市というテーマの中でなぜ都市に人が集まるのかを考えた時に、色々な原因があると思います。行政の中心が置かれる、宗教的な聖地になる。モノが集まる、モノが採れるという資源の集散地ということも私の分野になるのかもしれません。横浜国立大学に就職する時は「なぜ都市イノベーションなのだろう」と思ったこともありましたが、歴史の観点からもなぜ人が集まるのか、なぜモノが集まるのかということを突き詰めると、都市イノベーションとの親和性が高いのですよね。だから今は、とりわけ生物資源の面からアプローチできるのではないかと考えています。

たしかに行政、宗教、資源の中心であると考えると、都市というものがより明確に見えてくるような気がします。一見、都市イノベーションというのは、文理融合の場から遠く離れたような印象を受けますが、それぞれの研究領域の起点から「都市」として捉えてみると、根源的な都市のあり方への問いに繫がり、いつも面白いなと思います。

 例えば港町の横浜について考えると、最近では中華街に関する研究が盛んに行われています。もちろん横浜に住み続ける方もいらっしゃいますが、中華街の中では中国の故郷に帰ったり、故郷から家族を呼んだりという入れ替わりが多いそうです。また中華街は、開港当時の横浜に来港した欧米の商船や商社とともに、中国から移動してきた人々によって作られたとも言われています。欧米の商社が来港することで、日本人との取引のための通訳者の手助けが必要だったようです。だから幕府もそれに対応するために、長崎を経由して中国語の通訳者を連れて来たのですね。すでに長崎が江戸時代から中国との貿易を行っていたことからわかってきたりするわけです。モノがあって取引が生まれる視点からも、生物と文化の資源的観点を通して横浜という港町へのアプローチが可能なのかなとも思っています。

辻先生の中では、生物資源と文化資源の軸で歴史を考えていくというのがひとつの方向性だということですね。学生とはどういった研究を行っているのでしょうか。

 修士の学生は、どちらかと言えば文化資源寄りの研究に取り組んでいます。私の関心にも近いのですが、18世紀の清朝の時代に、朝鮮の人々が北京でどのようなモノを買って取引していたのかということです。現在においても、紙の値段以上に色々な価値が加わることで書物の値段が決まっていると思います。そういった資源が前近代の中国と朝鮮王朝の間でどのように価値を与えられ、取引されていたのかを調べています。また学部生とは、毎年ショートビジットで韓国と台湾に行っています。台湾に行って面白かったのが、古い街並みが、現在の都市の街並みとして残っている場所が多かったことです。清朝の時代にできた城壁や市場を学生と見学し、そこにまつわる文献を調べていくと、「都市とはこうやってできていくんだ」と私も学びました。例えば台湾には夜市があって、単なる観光客向けの場所だと思っていたんですが、実はそうではないのですね。何らかの宗教的な中心となる廟(びょう)の周囲に市場が形成されることで、そこに集まる人々の手を通して取引が行われていく。東洋史では「なぜ都市ができるのか」と考えた時に、人が集まるようになったことで周りを囲ったという説と、周りを囲ったから人が集まるようになったという説の二通りがあるそうですが、そういったことを文献の調査やフィールドワークで発見できたことは面白かったですね。

台湾の都市ができていく過程は、文献や資料としても残されているのでしょうか。

 ここに台北の19世紀頃、その区画に城壁が作られたことを示した地図があります。お寺のマークがあり、堤防沿いには信仰施設、川沿いには交易拠点が発展し、後に清朝政府が台湾統治の拠点として城を作ったというように、都市の形成をわかりやすく追うことができます。都市科学部の学部生で都市や社会について研究したいという学生には、こうした細かい文献もそれぞれのテーマを通して研究してもらいました。

The Formation of Cities / Initiative and Motivation in Building Three Walled Cities in Taiwan
Harry J. Lamley, " The Formation of Cities / Initiative and Motivation in Building Three Walled Cities in Taiwan ", in G. William Skinner (ed.), The City in Late Imperial China, Stanford University Press, 1977, p.171.

ちなみにショートビジットは台北という場所を決めて行ったのでしょうか。

 そうですね。学生からはこのお寺を調べてみたいだったり、ある映画の舞台になっている場所を調べたいということから滞在先を決めていきます。また台湾はリノベーションが盛んに行われているようで、元々日本の植民地時代にスタジアムだった場所が博覧会の会場になっていたりしています。そういうことも調べていく中で発見できたのは面白かったですね。また一昨年は高雄にも行きましたが、高雄はより意識的に映画の街としての空間作りを展開していたように思います。旧日本軍の基地跡をホラー映画のロケ地にしていましたし、文化資源としての発想に感心しました。

歴史研究や歴史教育における新たな試みとして、今後どういったことが重要になってくるのかについてお聞かせいただければと思います。現在は新型コロナウイルスの影響で移動することが難しくなっていますが、ショートビジットによって現地を訪ねることの意味、その重要性をもう一度考え直す1年でもあったように思います。歴史を学ぶ上で現場を訪れるということは、どのような意味を持つとお考えでしょうか。

 ひとつはその場に行かないと見ることができない資料があること。もうひとつはその事件や人物が置かれた環境を、自分の目で確認することが重要だと思います。

つまりそれは実際にその場へ行くことで発見し、その環境を自分で身体化するということでしょうか。

 そうですね。例えば韓国の場合だと、首都のソウルは坂の多い街です。ソウルの王宮は南に面していて、風水の観点から選ばれた場所だと言われていますが、実際に王宮へ行ってみると、山の斜面の延長線上にあったりするわけですね。地図が読める人だったら良いのかもしれませんが、都市の地形だけを抽出した地図というのもあまりないですから。

しかもソウルの王宮はそれほど激しい斜面にあるわけではなく、緩やかな斜面の上にあるので、実際に行ってその場所を体験しないとわからないのかもしれません。

 ソウル駅付近の南大門のあたりも微妙に小高くなっていたりします。ちょうど城壁が南大門に繫がっているからなんですが、そういうことは行ってみないとわかりません。だから学生にもコロナウイルスの状況は一旦置いといて、現地へ行ってくださいとはいつも言っています。それにまだデジタルになっていない資料も多いので、紙の資料は自身で見に行ってもらったり、その場に行って調べてもらうようにしています。

アナログとデジタルの資料に関しては、歴史学においてどのようなアプローチを実践されているのでしょうか。

 まずは存在するモノこそが大事だというアプローチがあります。その時代から紙や資料そのものが伝わっていて、それ自体について研究したい場合もあると思うので、アナログの価値はこれからもなくならないと思います。その場に行かないと見ることのできない資料はまだまだ多いです。幸いなことに私の担当分野である韓国は、膨大な量の歴史的資料がデジタル化されていますが、多くの歴史研究者や地域研究者にとっても、コロナウイルスの影響で移動できないことは大きな不利益になっています。ただ、私の研究は文字で書かれた内容が中心なので、文字情報を写真で見ることでも良いですし、たとえそれらがデジタルに置き換わったとしても、研究のプロセス自体は変わらないはずだとは思っています。ちなみに人文学の分野では、「デジタル・ヒューマニティーズ」(デジタル人文学、人文情報学)という言葉があるようです。文字情報をどんどん写真に撮ったり、テキストファイルをデータベース化することで、研究に活かそうという動きのことです。歴史学とはかなり親和性の高い部分だと思っています。

そうしたデジタル化の問題に関連して、ご自身の教育の現場で起こっていることについて教えていただけますか。

 例えば紙の新聞だと、読みたいと思う紙面へたどり着くまでに紙を見続けないといけないので、自分の意識していない情報も自然と目に入ってきますよね。ラジオであれば時系列で聞いていくことになるのですが、デジタルだとその目的とするニュースだけを見たらそれで終わりということにもなりかねない。歴史学においても、目的である資料のこのテキストだけしか見ないという問題がよく起こります。PDFファイルの資料も全体の3ページぐらいしか読まなかったり、検索に引っかかったチャプターしか読まないということもありえます。アナログの情報量の認識はなかなか伝わりにくいのかもしれないですね。「周りの情報を見なさい」と言ってもなかなか伝わらないところではあります。なので文献に限らず、どうやってそのPDFのチャプターができたのかを追体験できるプログラムがあると良いかもしれません。
 もうひとつ大きな問題としては、実際にデジタル化されている情報がごく一部しかない場合や、デジタル化されていたとしても共通の規格で整えられていないので、Aという実際の資料とBの資料とがバラバラのデータベースに置かれていたりすることですね。日本だけに限られた問題ではありませんが、こうして個々のデータベースを調べなければならないといったことがよく起こります。また商業的に出版されている書籍の場合は、著作権の問題もあったりと、そういった問題点が見えにくいのではないかなとも思います。デジタル化された資料は多くがインターネット上からアクセスできているので、ある程度自分の研究や教育においてはその恩恵を受けていると感じています。ただ、論文のデータベースはものすごく値段が高いですよね。果たしてそのデータベースと契約できるのか否かによって、研究上の大きなハンデが生じているような気がします。デジタル化の恩恵に与りたいなと思いつつ、大学の中にいてもそう感じるので、とくに大学院生は修了後に大学を離れると、かなりの痛手になっているようです。

環境を経験することの重要性や、アナログやデジタルの資料を読み解くにせよ、その歴史が作られた経緯を自らが追体験する。そのことを中心にお話されていることからも、歴史学とはまさに追体験の学問ということになるのでしょうか。

 自分が実践できているのかは自信がありませんが、現在の観点で資料を判断するのではなく、当時の他の資料を見て当時の環境を復元し、歴史を追体験することはやはり大事だと思います。とくに私の場合は19世紀より前の時代に何が起きていたのか、どのような制度があったのかを一つひとつ復元していき、そこで改めて数行の資料を見直すということですね。そうすることでテーマとは直接関係のない資料でさえも、やがて自分の研究と関係のあるものになってくるのだと思います。

Yamato TSUJI
Yamato TSUJI
1982年生まれ。アジア史、朝鮮王朝史。都市地域社会コース准教授。主な論文に「17世紀初頭朝鮮の対明貿易ー初期中江開市の存廃を中心に」、「一七世紀 朝鮮・明間における海路使行と貿易の展開」、「朝鮮政府の薬用人蔘政策の基礎研究」など。著書に『朝鮮王朝の対中貿易政策と明清交替』(単著、汲古書院、2018年)、『調査研究報告64号 東アジアの歴史イメージとコンテンツ』(編著、学習院大学東洋文化研究所、2018年)。訳書に『響きあう東アジア史』(共訳書、東京大学出版会)などがある。