IUIピックアップ VOL.12

建築家と共につくるまちづくりの形

インタビュー

乾 久美子[建築家/Y-GSA教授]

Interview with

Kumiko INUI

2020年の建築学会賞(作品)に本学府・研究院Y-GSAの乾久美子教授が全体のデザイン監修と複合施設などの設計を手がけた〈延岡駅周辺整備プロジェクト〉が選ばれた。2011年に開催された延岡市による監修者選定プロポーザルからおよそ9年。行政や関係事業者、そして延岡市民とのあいだでプロジェクトはどのようにして進められてきたのか。その過程で乾先生が見出した面白さや工夫、そしてまちづくりに建築家として果たしていくべき役割についてお話を聞くことができた。
聞き手|藤原徹平
写真|白浜哲

「延岡駅周辺整備プロジェクト」での日本建築学会賞・作品賞、おめでとうございます。このプロジェクトについて教えていただけますか。

 宮崎県延岡市は人口13万人ほどの都市ですが、他の地方都市と同じように中心市街地が衰退していました。そのことに対して何とか活性化したいということで、JR延岡駅周辺エリアを中心とした整備を行うことが決まり、その後、プロポーザルが行われて私が関わらせていただくことになりました。その時点ではまだ建築のプロジェクトとして明確な条件がなく、なにかしらの方法で駅周辺を盛り上げたいということだけがあったのですが、デザイン監修者として全体を見る立場としてプロジェクトに関わるようになりました。

どのようにこのプロジェクトを始めたのでしょうか。

 プロポーザルの審査員でもあったコミュニティデザイナーの山崎亮さんがワークショップを行い、市民の声を吸い上げるプロセスを踏みながら、駅を市民の活動の場所にするというソフト的な方向性は決まっていました。ハードに関しては、5階建てほどの駅前テナントビルを市の担当者レベルでフィージビリティ・スタディしたところ、事業として難しいことがわかったタイミングでした。そうした中でどういうものをつくるべきかを検討してほしいと言われました。当時は他の地方都市で、中心市街地活性化をめざして駅前ビルを建ててみたものの、市場やニーズにマッチしていない規模にしてしまったために中身が埋まらないという事例が見えていた時代だったので、とにかく身の丈にあった低層にしませんかと提案しました。さらに、その低層の建築の中に、山崎さんが市民ワークショップで吸い上げた活動のアイデアを駅の活動と共に散りばめるとよいのではないかと伝えました。さらに言ったのは、駅の活動と市民活動を単に隣合わせにしたり、縦に積んでもシナジーの旨味がないので、それぞれの活動をなるべく小さな単位にして、それぞれの接触面積を増やしていくべきだということです。また、低層にすれば、市民活動を可視化しやすいということも指摘しました。総じて低層の方がまちづくりとしての旨味を出しやすいと考えました(図1)。

図1 低層で市民活動を「可視化」する
図1 低層で市民活動を「可視化」する

「市民活動を可視化する」というのは。

 延岡市は遊び心のある人が多く、市民が自主的に祭や花火大会、薪能(たきぎのう)を行うなど、市民活動がかなり活発だということが延岡に通う中でわかってきました。でも日常のまちはというと、歩いていてもそうした人々の活動や存在が見えないんです。飲食店も夜になるとそれぞれが賑わっているのだけど、通りからはその様子がわからないようなつくりになっていて、賑わいが実感できません。コミュニティセンターもそうです。相当使われているのだけれど、その活動が通りから見えないのです。まちの賑わいが通りから感じられない。建物のつくりや、市民の意識がそういうところに向かっていない。そこに地方都市ならではの問題を感じたので、活性化のためには可視化はとにかく大切だということを関係者にお伝えしました。

低層であること、市民活動の可視化、シナジーができるように混ぜる、その3つのことを最初に決めたということですね。

 はい。シナジーを起こす混合については、混ぜご飯とかチラシ寿司とかそういう言い方をしたのですが、そのたとえが分かりやすかったのか、すんなりと市民や関係者の方々に納得してもらいました(図2)。こうしてまちづくりに対しての方針を検討する一方で、JR、バス会社、タクシー会社、警察などのステークホルダーに対して、ロータリーの改変や、それぞれの建て替えに対して議論し、調整を行う「駅まち会議」という関係者会議を建築家の内藤廣さんに座長になっていただいてやりました。つまり、ソフト的なことは市民ワークショップ、整備のハード的なことに関しては駅まち会議という二つの会議体を同時に運営し、両方の意見を反映させながら、基本計画としてまとめるということを第一ステップとして行ったわけです。市民ワークショップの方ですが、その後、意見を聞いて終わりということにはせずに、第二ステップとして、山崎さんはヒアリングを続けていきました。第一ステップで聞き取った市民活動を定期的に行えるのか、行うとするとどういうチームをつくればいいのだろうか、活動チームだけでなく、運営に関わってくれるサポーターになりそうな市民はいるのだろうか、というようなことを探ることが目的でした。

図2 「駅」と「市民活動」の「ちらし寿司」モデル
図2 「駅」と「市民活動」の「ちらし寿司」モデル

市民が当事者になっていくことを期待して続けたと。

 そうですね。第一ステップの2011年6月から2012年までは2か月に一回くらいのペースで意見を吸い上げるようなワークショップで、2012年2月以降は第二ステップとして、それまでワークショップに参加してくださった市民を中心に、当事者を育てるワークショップに変わっていったのです。
 その頃、デザイン監修者の私たちは、別の次元での調査をしていました。市民活動の場を具現化するために、市民活動の場と思われる建物を全国まわって見に行ったのです。公共から民間、ちょっとしたカフェも含めて色々と見に行く中で、市民活動の場にはやっぱりコピー機とかがあって、チラシを気軽につくれた方がいいんだなとかいうような機能的な要素や、活動に対する部屋の大きさなどを調査していきました。建築のスペックを決める仕事の一環です(図3)。
 延岡市の設計士の方々と一緒に受注して仕事をやっていったのですが、せっかくの共同作業だということもあり、駅近くの商店街の空き店舗に作業場をつくって、そこにうちのスタッフが常駐する形にしました(図3)。作業場は「駅まちプロジェクト事務所」という名前をつけたのですが、作業場であると同時に、まちづくりの機運情勢の拠点にもなればいいなと思い、時々まちづくりの勉強会をしたり、ショーウィンドウに置いておいた模型をなんだろうとふらっと尋ねてきた人を捕まえてプロジェクトの説明をしたりとかしました。そういう気運醸成は他のところでも広がっていて、「駅まち音楽隊」や「四畳半カフェ」というような活動が生まれました。まだ建物ができていないけれど、市民ワークショップで集まった仲間とまちを使って楽しむ練習をしたいというものですね。将来的に、駅前がそういう人たちが活動できる場所にできればいいなということが見えてくるような状況でした。

図3 類似施設の事例調査2013年1月~2013年7月/駅まちプロジェクト事務所の運営2013年4月=2013年10月
図3 類似施設の事例調査2013年1月~2013年7月/駅まちプロジェクト事務所の運営2013年4月=2013年10月

まさに活動が育っていったと。

 そうですね。延岡でこれだけいろんな人や活動があるので、活発に使われる建築になるだろうと安心できるような状態だったのですが、その次に浮かび上がって来たのは、運営の問題でした。市役所の直営か、指定管理かという二択なんですけど、延岡市としては指定管理の可能性を探りたいということでした。指定管理であれば、市民だけで運営できる組織になるかもしれません。そうなったらすごいことだと、山崎さんを中心に、サポーター探しの延長線上に運営者になりそうな可能性のある人を探し、人育てするようなことを2年ぐらいやりました。山崎さんが代表を務めるstudio-Lに修行に行ってもらったりと、いいところまでいった方もいるんですが、やっぱり市民だけでこの規模の管理するような仕組みをつくるのは難しそうだということわかってきました。そこで、市のほうで指定管理者を探すべくプロポーザルを出したんです。そこで手を挙げたのがCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)でした。当時は武雄図書館が市民の居場所として話題になっていたので、喜ぶ声も多かったのですが、人によって受け取り方は違い、市民の手による身の丈にあった運営の可能性を探っていたチームからは残念だなという意見もありました。私も最初はそう思っていました。

思いと違ったわけですね。市民によるある種のアナーキーを期待していたと。

 アナーキーまで行かなくても、経済活動とは違った地平にある市民の場を追求して来ていたのでCCCの登場は心配になりました。商業建築になってしまうかなと思ってしまったのですが、後に館長になるCCCの担当の方の動きを見ていたら、studio-Lのこれまでの蓄積を理解し、その延長戦上で地域との関わりをつくることを熱心にやることがわかってきて、大丈夫かなと思うようになりました。
 CCCは武雄図書館以降、全国で図書館事業を受注するようになりましたが、彼らの事業モデルは図書館に物販と活動スペースを埋め込むようなものです。その活動スペースの部分を延岡ではより充実させるようなものになっています。また、一般的なCCCの図書館事業では活動のプログラムはCCCの手によるものが多いそうですが、延岡「エンクロス」では、ほぼ市民の持ち込み企画になっている状況です。それはやっぱりあらかじめ丁寧に市民の活動を掘り起こしてきた結果だと思っています(図4)。

図4 「エンクロス」という新しいモデル
図4 「エンクロス」という新しいモデル

市民が中心となって活動がされていくのは面白いですね。ハード面の工夫はどういうものがありますか。

 ハード面に関して言えば、「エンクロス」を中心に事業主体が延岡市だけでなくJR、宮崎交通など複数いたことですね。また、同じ事業主体の工事でも、部分で分割されて発注されたりとか、土木の構造体の上に建築で上屋を載せるなどの複合的なものがあったりと、一般的な建築のプロジェクトでは経験したことのない状況でした。また、このプロジェクトではデザイン監修と設計者の立場の両方をやっていますが、デザイン監修の立場では、地元の設計者の方や、JR関係の設計事務所の方が設計したものに対して、デザイン的なアドバイスを行うようなこともしました。とにかく仕事の種類が多かったです。それと連動するのですが、契約業務も複雑でした。プロポーザルを通してデザイン監修という立場をつくってくださった延岡市や内藤廣さんをはじめとする委員の方々に恩返しするというか、デザイン監修を業務として経済的に成り立たせるということも今回与えられた仕事のひとつだと思って、業務費の算出をひたすらおこない、細かい契約をやりつづけました。
 建物の管理、運営主体も多様です。延岡市が管理するものでも土木と建築で分かれていたりします。どこまでデザインを重要視したものにするかも、それぞれの事業のコスト感も、事業主体によってかなり変わります。そうした中で、デザイン的に統一感を与え、延岡市の玄関口としての落ち着きや、市民の方や来訪者がくつろげるような雰囲気をつくり出すにはどうしたらいいのを考えました。あまり複雑な設定をしても達成できないと判断し、簡単な原理を採用することにしました。その一つが視線の抜けをしっかりつくることでした。可視化の一つですね。せっかく駅に市民活動や市民の居場所をつくるのだから、鉄道やバスによる日常の様子が見えたり、特に延岡駅は貨物の駅でもあるので、その様子が見えたりする風景の中に人の居場所があることを、建築として定着させ、表さないといけないと思いました。エンクロスを通してJRの改札が見え、その奥に電車がスーッと入ってくるのが見えたり、エンクロスとJR駅舎の間の歩廊がずっと続いていて、その向こうに長距離バスの発着がパッと見えたりするような視線の軸をできるだけ設定したのです。
 また、施設の真ん中につらぬいている東西自由通路の階段は実は市道で、都市計画的には道路です。線路をまたぐ自由通路はそういう設定になっていることが多いわけですが、今回はさらに、その道路の上に建築が重なって立体交差させています。これも駅前らしい貴重な要素なので、この階段からエンクロスの中が見え、エンクロスからは階段を行き交う人が見えるように透明なガラスにして、ここにしかない風景をつくっています。
 素材や色によって統一感を生み出すこともしています。JR九州が木材利用に積極的なこともあり、木材を施設を超えて使うキーマテリアルのひとつにしました。また、施設同士の境界線を感じさないように同じ素材を同じ割り付けでピッタリ施工していただいたりもしています。
 また、交通結節点に建つ建築らしい部分のひとつなのですが、ロータリーに接するように建築を配置しています。ロータリーの奥行きを圧縮することで生んだ奥行きの狭い隙間に建設しているからこういう状況が生まれるのですが、そのことを利用して、2階の床のある所にはバスやタクシーの乗降スペースに設定しました。全体として交通結節点らしい条件を楽しむというか、そのポテンシャルを引き出すことを追求したつもりです。余すことなく素材を使い切って、美味しい建築体験をつくるという感じです。
 また、大きなコンセプトとしてエンクロスをJR駅舎の増築のようにすることを目指しました。もとの駅舎は国鉄時代の量産型の建物で、地方都市らしいごく一般的な駅舎なのですが、市民アンケートによるとこの駅舎を好きだという人が意外と多くて、そこに可能性を感じたんですね。そんなに好きなのであれば、もはや増築するようにしようと。具体的には建物の高さや柱のスパンをかなり近づけています。室内はJRの駅舎を継承したグリッドをベースに、スラブのあるところとないところをまばらに配置したり、上がトップライトになっているところを所々設けるなどを重ねながら、多様な市民活動に寄り添うようにいろいろな種類の場所をつくっていきました。

©Daici Ano

乾さんが設計された「七ヶ浜町七ヶ浜中学校」でもリトルスペースという、人が活動できる小さな空間をつくっていますが、今回もグリッドの中にそうした人の居場所みたいなものをつくる意識を感じます。

 七ヶ浜の場合は、基本のグリッドに対して単純に付け足すという加算型だったんですが、今回はグリッドそのものを不均質にして、人の居場所であることが感じられるところを時々埋め込んでいくというようなことをしました。

グリッドを不均質にするというのは具体的にどういうことですか。

 JR駅舎に柱スパンを合わせることがベースにあるのですが、東西自由通路の位置などは電車の信号の関係から割り出されていて変更ができないというように、変えられない要素がいくつか有るので、それを避けるようにスパンを調整しています。柱と柱の間の距離が時々変化するわけですが、そのことを積極的に捉えて、違いを生かして、ややゆったりした場所をつくったり、少し落ち着いた場所をつくったりしています。

©Daici Ano
©Daici Ano

1階と2階で階高も違いますね。

 最初の頃に、室内での活動を可視化することを目標に設定したので、平屋を想定して進めていました。その後、CCCが指定管理者として参加するようになり、彼らのメインの事業である図書スペースづくりには平屋では面積が足りないということになりました。すると、2階建てにするしか選択肢はなかったのですが、可視化は諦めるべきではないので2階の活動がちゃんと見えるよう、なるべく1階を低くして、2階を地面からの視線に近づけることにしました。2階を低くすることの良さはもうひとつあって、建築基準法の観点から階段に踊り場がいらなくなることもいいのではないかと思いました。踊り場がない短い階段は住宅的な感じを醸し出して、2階が近いと思う印象をつくれるんですね。1階の階高は公共施設としては破格の寸法になっていて、最初はすごく心配されたんですけど、できてみるとすんなり納得してくださいましたね。やっていることは単純ですけど、効果はてきめんです。

一見シンプルに見えますが、味わい深い面白い建物ですね。鉄道好きから若い子まで楽しめる。

 そうですね。中心市街地が衰退すると特に中高生の居場所がなくなるようなところがあります。エンクロスでは中高生が楽しそうに勉強しにきてくれるので、それはよかったなと。延岡でのリサーチ時期と『小さな風景からの学び』(TOTO出版、2014)のリサーチの時期がほぼ一緒でした。当時、いろいろな地方都市を見て回っていたのですが、電車の待ち時間が長いからと、中高生が駅の待合室で宿題をしているケースが多く見つかりました。そこから、地方都市の駅は中高生の勉強の場でもあると確信していました。

「駅まちプロジェクト事務所」をつくってスタッフが常駐するというのも新時代という感じがします。その手応えはどうでしたか。

 まちの方々から信頼されたようになったと思います。私というよりは、常駐したスタッフがものすごく信頼されました。商店街の方々をはじめ、市民の方々に可愛がってもらっていました。常駐することで、建物の設計をするだけではなく、本当に延岡のことを心配して何かしようとしているんだなという雰囲気が出ていたのだと思います。

どのような仕事を受けてもそれが設計になっていくということがこのプロジェクトから感じられます。辛抱強くやることでそれが建築の秩序になっていくという。いま「まちづくり」を多くの若い建築家が行っていると思うんですが、それに対する乾さんからの一つのメッセージのような気もしています。参加するだけでなく、それを公共空間の秩序に置き換えていくべきというような。

 2011年に私がこういうことを始めた時にすでに、まちづくりと建築設計の両方に興味をもって取り組むような建築プロジェクトはすでに登場していました。ただ、多くが、タクティカル・アーバニズムのお手伝いに近く、つくっても屋台などの仮設的で単純なものでとどまってしまうようなところがあったと思います。それですと、建築設計の専門性があまり必要とされないような気がして、それが当時から気になっていました。やっぱり建築家がかかわるのであれば、複雑な与件を整理しながら、それを解きほぐしていって、さらにそこから何かしらの秩序を立ち上げていくというようなスキルをいかすべきかなと。とらえどころのない市民活動の場をつくるという、歴史的にも新しく、プログラムとも言えないようなものに対して、建築の形式を発見しないとおかしいというような気もしていて、そういうことはやらないといけないなと思っていました。

そういう意味で最初に乾さんがセッティングしている「可視化」と「混ぜご飯」と「低層」は、重要な形式の提示ですよね。

 そうですね。ただもちろんこの最初の3つの形式をベースにしながらも、最終案になるまではいろんな案を考えました。CCCの参加により面積を激増させる必要がでてきた時にはどうなるかと思いましたが、彼らが多くの、そして明確な要求を出してくる中で、ようやく解かないといけない問題がはっきりして整理されていった側面もあります。建築設計の不思議なんですが、ゆるくでは面白くならない、条件が厳しいほうが面白くなっていくということが起こったように思います。

最後に、乾さんがY-GSAにこられて5年が経ちましたが、この5年間はどうでしたか。

 この5年は小嶋先生のこともありY-GSAが大きく変化していく期間だったと思います。それに立ち会ってきたように思っています。自分も変化してきていると思います。もともとY-GSAに教員として参加する前に2回ぐらい講評会に呼ばれた時の印象は、「みんな企画はいいんだけど、建築になってないな」というものでしたが、5年間ずっと学生のトライアルを見続ける中で、そもそもどこに何を建てるのか、誰が使うものを建てるのかという根本的な組み立てがやはり現代において一番重要だなと改めて思うようになりました。もちろん設計力は必要なんだけど、それ以前の議論がないほうが問題だと思います。それはY-GSAの影響なのか、時代がそう思わせているのかはわからないんですけれども。ただ、Y-GSA学生の具体の部分の設計力をどう上げていくのかということは、先ほどの延岡の話のように、建築家でしかできないことにつながります。それは、専門家教育の場所として捨ててはまずい部分なので、両方を検討できるうまい課題の組み立てを見つけたいなと思っています。

Kumiko INUI
Kumiko INUI
1969年生まれ。建築家。Y-GSA教授。乾久美子建築設計事務所代表。主な作品に「アパートメントI」(新建築賞)、「フラワーショップH」(グッドデザイン金賞、JIA新人賞、BCS賞)、「共愛学園前橋国際大学4号館Kyoai Commons共愛コモンズ」(2015年建築学会作品選奨)、「七ヶ浜町七ヶ浜中学校」(2017年建築学会作品選奨)、「釜石市立唐丹小学校・釜石市立唐丹中学校・釜石市立唐丹児童館」(グッドデザイン賞・グッドフォーカス(復興デザイン)賞)、「宮島口旅客ターミナル」など。