IUIピックアップ VOL.10

防火帯建築から見る、都市居住空間のこれから

インタビュー

藤岡 泰寛[建築計画、ハウジング、都市住宅、住生活、福祉のまちづくりの研究/建築都市文化コース准教授]

Interview with

Yasuhiro FUJIOKA

2020年に刊行された藤岡泰寛先生による編著『横浜防火帯建築を読み解く:現代に語りかける未完の都市建築』(花伝社、2020年)が、「2020年度都市住宅学会賞」の著作賞を受賞しました。今回は著書にも取り上げられている防火帯建築から「ミクストユース」、「アーバンユニット」といった概念をキーワードに、いまもなお横浜のまちに存在する防火帯建築とまちに住む人々の活用の動き、さらには防火帯建築が都市にもたらす可能性や今後の研究に向けたビジョンについてお話を伺いました。
聞き手|藤原徹平
写真|白浜哲(ポートレート)
『横浜防火帯建築を読み解く:現代に語りかける未完の都市建築』
藤岡 泰寛(編著)『横浜防火帯建築を読み解く:現代に語りかける未完の都市建築』(花伝社、2020年)

都市住宅学会賞の受賞、おめでとうございます。今回の受賞で改めて考えたことや感じたことがありましたら教えていただけますか。

藤岡 ありがとうございます。いままで日の目を見ていなかった防火帯建築がこうして関心を持って評価されたことがとても嬉しいです。都市住宅学会は建築学、住居学、都市工学、法学、経済学、社会学などを総合する文理融合の学際学会です。人が住むための建築や都市空間、あるいはそれを支える制度といった総合的な観点から評価されたことは、 「防火帯建築研究会*」が発足してから活動を続けてきたことのひとつの成果だと思っています。


*「防火帯建築研究会」:
2014(平成26)年10 月に、当時のJIA(日本建築家協会) 神奈川代表の飯田善彦氏が推奨して設置された5つの都市問題研究会の1つ。研究会代表は建築家の笠井三義氏が務め、JIA 会員建築家に加えて、NPO、自治体、公社、大学研究者等のメンバー8名が有志で参画する研究会となった。


次に、横浜の防火帯建築を研究されてきた中での藤岡先生の意見をお聞きしたいのですが、建築がまちの中に住む人を支えていくためには、どんな要素が重要になってきますか。

藤岡 家だけ建っていても人は住めません。人が住むためには働く場所もいるし、買い物をする場所もいる。開かれた表通りから少し離れた庭のような屋外空間やコモンスペースも必要です。つまり、機能的に純化された環境では人は住めない。都市の中に人が住むということを突き詰めると、ミクストユース(用途混在)にならざるを得ません。防火帯建築はそれを建築として表現している点がとても優れていて普遍的なのだと思っています。住むところがあって、働く場所があって、住んでいる人たちがコミュニケイトできるようなスペースがある。それを限られた空間の中で実現しようとした試みが素晴らしいですし、古典的ですがとても重要な問いかけだと思います。

藤岡先生が専門にしている建築計画学では、ミクストユース、機能の複合というのはどのように捉えられてきたのでしょうか。

藤岡 戦後にようやく本格的な民主主義社会が来たという時代背景からすれば、機能的な建築は民主主義の象徴のようなものとして歓迎されていたはずです。なぜなら、機能主義は権威主義とは対極にあり、庶民=利用者の使いやすさに軸足があるからです。そして、建築計画も利用者の使いやすさを考えることから発展していきました。しかし、しばらくして機能純化や専門分化に対する批判的な姿勢がみられるようになります。これは使いやすさよりも管理のしやすさが過度に優先されることへの警戒感から生まれています。純化せずに複合化する、ミクストユースにする方向も基本的には同じ動機です。防火帯建築は、機能的な建築に対する憧れや評価が生まれはじめて間もない時代にありながら、既にこれだけ複合的であることはやはり驚くべきことだと思います。建築が生まれた理由や生み出すエネルギーに関心を持ち、そこから建築計画にとっても何か重要なヒントを得られるはずだと思っています。

都市イノベーション学府・研究院ができて今年で11年目になりますが、都市住宅学会という文理融合の学会からの評価をいただいたということは、ヒントになるように思いました。本学府・研究院では、もしかしたら次世代の防火帯建築を考えるような姿勢が大事になってくるのかもしれません。これからの都市を考えていくために今後重要となっていくものはどういったものだと思いますか。

藤岡 建築と都市を別々にして考えることはやはりできないということだと思います。このとき、こうしたことを問いかける建物が、実物として、遺産として都市に存在していることが大事だと思います。建築と都市の中間だけを切り出して伝えることはなかなか難しい。実物がまちの中に残っていることで、その存在を通じて、試行錯誤の経過も含めて都市の問題に触れることができる。賞をいただいたあとに、著者の一人である神奈川大学の中井邦夫さんに講演いただいたのですが、その場でも建築や都市計画を法学や経済学といったものと一緒に考えていくといったような、まさに文理融合の方向へ進むために今後どうしたらいいのかという議論が活発に行われていました。防火帯建築を手がかりに、これからの都市を考える文理融合の議論を始めていくこともできるのではないかと思います。

「横浜市防火建築帯造成状況図」(1958)神奈川県立公文書館所蔵

2000年前後くらいに集合住宅の証券化の議論が起きて、大学院時代当時に、私も建築家の野田俊太郎さんが主催する勉強会に参加しました。防火帯建築のような、市民の共有財産としての集合住宅、資本のための証券ではなく都市のための証券というものがあり得るのではないかと話していたことを思い出しました。その後、建築計画や法学、経済学でそのような議論は起きていないのでしょうか。

藤岡 そこが一番大きな課題だと思います。丸の内であれば、投資を引き出しながら歴史的な建築を残すための議論が成り立ちますが、一般的な市街地の中では建築の歴史的な価値よりも金融商品としての取引価値の方が優勢です。中井さんがおっしゃっていたのは、いまの都市空間は人間が居住する都市空間のスケールとしては容量が大きすぎるので、ダウングレード(ダウンゾーニング)するベクトルも必要だろうということでした。都市の中にどれぐらいの床を与えていくべきかという議論が政策的に必要だと思います。もうひとつは、床の立体化のあり方ですが、防火帯建築は建蔽率が100%で建っているんですね。つまり街路に沿ったストリート型の建築です。一方で、100%まで使わず公開空地をとって、そのかわり容積のボーナスをもらうという考え方もあります。この方が投資を引き出しやすいからです。それぞれ良いところがありますが、人が住んでいるところは、本来ストリート型であるべきだと思います。このようにしてみると、アーバンユニット(街区)のあり方とか、都市に暮らす人々の経済活動の循環に関する議論もしないといけないだろうと思っています。あとは市民の合意というか、証券化の話と連動しますが、建築が金融商品になってしまっていることを変えるには、そこにお金を払う人が変わるというのが長期的に見ると大事だと思います。古いビルに投資して、壊さずに残して使うことに価値を見出して、きちんと回収していくことで投資してくれるような人を増やす。そのためには、こういう本を書いたり、一般市民の人たちを啓発するような活動が大事になると思います。
 例えば、防火帯建築よりも新しい時代の建築ですが、「都橋商店街ビル」が2016年に戦後建築としてはじめて横浜市の登録歴史的建造物に登録されて、そのあとに横浜歴史資産調査会(ヨコハマヘリテイジ)が引き取りました。都橋商店街ビルにはファンが多くいるので、横浜市としては市民からの反発が予想されることから、壊すという選択肢をとりづらかった。防火帯建築も市民の根強いファンをつくることが大事で、地味ですがそうした市民の声を大きくすることが歴史的な建築をまちの中に残して使い続けていくことに繋がると思います。

都橋商店街ビル
弁三ビル(原ビル)

それこそ経済学の人たちと都市や建築に関わる人たちとの協働の研究が必要なのかもしれないですね。資本のあり方自体が世界中で変わりつつあるなか、どのような仕組みをつくればいいのかということ自体が研究対象になりそうです。

藤岡 そこは僕もまだ不勉強な部分ですが、投資する人と建築オーナーの両面から研究していくことが大事なのではないかと思っているところです。いくつか動き始めているのですが、例えば文化観光局が関わりながらルーヴィスという民間のリノベーション企業が「弁三ビル」の空き室を一部借り上げて事業化しそこに借り手がついているんですね。それを弁三ビルのオーナーが見て、残りの空き住戸もリノベーションして貸し出し始めるということがありました。建築、とくに住宅は使い続けていないと長持ちしない。個人的にもったいないなと思っているのは、もっと小さなビル(防火帯建築)の空き室です。調べてみてわかったことは、多くのビルオーナーが、芸術家のパトロンになっていたようだということです。売れない画家から絵を買い取って、自ら営業する料理店に飾り、来た人に抽選であげていたりする。あるいは、「梅香亭」という有名な洋食のお店がありましたが、売れない頃の矢沢永吉に2階をスタジオとして貸してあげていたという話もあります。また、「梅香会」という絵画サークルが生まれて、活動拠点にもなっていました。つまり横浜の文化芸術のある部分は、そうした無名の小さな資本家たちが支えてきたということです。このような見方がもっと広がれば、単に空き室がリノベーションされて貸し出されるという不動産の問題にとどまらず都市文化そのものの議論に繋がっていくと思います。

横浜は2000年以降、創造都市政策に取り組み、中心市街地にアーティストや芸術家やデザイナーの拠点をつくり、都市文化の活力を育成しようという動きがあります。しかし実は横浜はそもそもそういうことを自然にこの防火帯建築によってやっていたのだけれど、それがうまく継承できていないということでもあるのかなと思いました。ミクストユースを引き起こすような建築の企画や運営によって、次の文化、次のオーナーというようにバトンを繋いでいければ、横浜の都市文化の強さが再生してくるようにも感じます。

藤岡 防火帯建築の空き室に借り手が見つかるケースとしては、さきほどお話した弁三ビルなどの一部の例を除けば元々ある程度の繋がりがあった、というのが現状です。珍しいところでは、ランドスケープデザイナーの熊谷玄さんが、オフィスに適した物件がないかと街中を探していたらたまたま山下町の防火帯建築に行き着いて、直接オーナーと交渉したという話があります。そのとき、「空いてるけど、貸せる状態まで修繕するにはお金がかかる」と言われたそうなのですが「そのままの状態でいいです」と借りてかなり自由にリノベーションしながら使っている。防火帯建築だと知ったのは後からです。防火帯建築の中でマーケットに出ていない空き室がたくさんあることは調査からわかっているので、いろんなルートで借り手が見つかるといいのですが、現状ではなかなか空き室と借り手を結びつける手段がそんなにないんですね。

防火帯建築自体はたくさんあるので、もっとそのようなマーケットが広がってもおかしくはないですよね。藤岡先生は、新しく、現代の防火帯建築のようなものが建つ可能性もあると思いますか。

藤岡 防火帯建築の目指していた都市空間像が新しい建築に発展的に継承されていくことはあり得ると思います。既存の防火帯建築と新しい建築の組み合わせ方も工夫できると思います。ただそのときに重要なのは、敷地単位で考えるよりも、やはり街区や都市のスケールで考えていくことです。ミクストユースを成立させるためにはひとつの敷地だけではなかなかシステムとして完結できません。そうすると最小でも一街区とか、複数街区のまとまりとか、そういうアーバンユニットの計画と連動するかたちになると思います。既存の防火帯建築は中層の4階建てが主流ですが、香港やシンガポール、バンコクといったアジアの都市を見ると、時代に合わせて連担したり高層化したりしながらとても上手にやっています。中空を中庭にして、そこにペントハウスを建てたりしている。ああいう都市空間の立体的な使い方はもっと可能性としてあると思います。いま残っている防火帯建築の屋上の面積を足すと大通り公園よりも広い面積になります。都市に暮らす知恵として、豊かな公共空間を創り出していく可能性はまだあると思うんですね。このように街区などのまとまりのスケールや単位で考えることが大事になると思います。

街区型の都市を誘導していくためには、やはり都市計画や建築の地域計画で誘導しないと難しいでしょうか。

藤岡 横浜市では、昭和50年代半ばまでは関内・関外エリアの路線型の防火地域指定を継承していて、加えて当時の横浜市には用途別容積率制というものもありました。その頃の横浜市は人口が急増して、続々とマンションが建てられていた時代です。こうした住宅需要に対して容積800%のところでも、住居部分の容積を最大200%とかいうように少し絞っていました。つまりミクストユースを誘導しているともいえる時期があったんですね。ところが、1980年代から1990年代にかけて、おそらくみなとみらいの開発と一体的に都心部の土地利用のあり方が考えられるようになってからだと思うのですが、そこから生活の場としての街区というものが見えにくくなってしまいました。

アーバンユニットやミクストユースはむしろ普遍的な都市のかたちであるというお話もありました。それはつまり、普遍的なかたちを持つ都市の方が、人口流動や景気の上下などの外力に抵抗しやすいということだと思います。

藤岡 ミクストユースのための都市空間のタイポロジーを用意しておくことは、ひとつの価値観で都市が埋め尽くされないようにしていくことに繋がります。時代によって求められる機能や社会構造、重きが置かれる価値は変化するので、そうした変化に強い都市構造を、あらかじめ用意していくというのはすごく有効な戦略であるという気がします。大きなリターンは期待できないですが、その分様々な変化に強く、予期せぬリスクも軽減できる。つまり、何かあったときにはこっちの手が使えるみたいな発想ですよね。

横浜全体がそうである必要はなくて、中心市街地の街区型をひとつのモデルとしてつくっていけたらいいということですよね。ストリートから考えていくのかブロックで考えていくのかでアプローチは色々とありそうですし、そこで起きている文化や多様性、ソフトプログラムに着目するアプローチもありそうなので、総合的に色々な角度からやることで面白さが浮き出てくるのかもしれません。だからこそいろんな分野の人が同時に研究したりすると面白いのではないかと思います。

藤岡 そうですね。多様なアプローチを考えていくために、大学の役割も大きいと思います。たとえば、神奈川大学は防火帯建築の中に拠点をつくって、いろんな分野の人たちが交わって議論したり活動する試みを始めています。やはり外から眺めるだけでなく、中に入り込んでいくことでいろんなことが見えてくると思います。建築家で元Y-GSA教授の飯田善彦さんの事務所も、吉田町にある防火帯建築に、事務所兼カフェ(Archiship Library& Café)を構えてまちに開き、いろんな活動の受け皿となり、人の繋がりをつくりながら、「次にどうしたらいいか」ということを実践されていますよね。ですので、地域に入り込んでいくことでその先に色々な分野の関わりが見えてくるのだろうと思います。

吉田町第一共同ビル

もしかすると、防火帯建築の研究拠点みたいなものを大学として共同で持ってもいいのかもしれないですね。

藤岡 一箇所にずっといるという拠点のイメージにとらわれず一ヶ月や一週間だけ場所を借りて転々としていくのでもいいと思います。少し掃除をして綺麗にして、そこに人とプログラムを入れることを繰り返していく。いくつか防火帯建築の空き室を見せてもらいましたが、たいていは物置の状態で、もったいないんですね。たとえば都市イノベーション学府の修了展の会場として短期間貸してもらうということを繰り返しながら都市の中を巡回していくような活用ができたら面白いと思います。

Yasuhiro FUJIOKA
1973年生まれ。建築計画、ハウジング、都市住宅、住生活、福祉のまちづくりの研究。建築都市文化専攻准教授。著書に『現代集合住宅のリ・デザイン』(共著、彰国社、2010年)、『住むための建築計画』(共著、彰国社、2013年)、『横浜防火帯建築を読み解く:現代に語りかける未完の都市建築』(共著、花伝社、2020年〈2020年度都市住宅学会賞著作賞受賞〉)。主な論文に「戦災と長期接収を経た都市の復興過程に関する研究 ―横浜中心部における融資耐火建築群の初期形成―」(日本都市計画学会第52回学術研究論文発表会、2017年)などがある。