IUIピックアップ VOL.4

東京湾の生態系

インタビュー

中村 由行[水工学・土木環境システム/元・教授]

Interview with

Yoshiyuki NAKAMURA

中村由行先生は東京湾の水質や水生物などの研究され、まさに生態系を専門分野とされている。人間にとって不可欠である水環境やその生態系をいかにして回復してゆくのか、そしてこれから求められる東京湾の姿とはどのようなものなのか。その将来像はこれから目指してゆく方向によって変わってゆくものだという。
聞き手|藤原徹平
写真|鈴木淳哉(ポートレート)

今回、生態系というテーマで特集を組むにあたって、東京湾で生態系の研究をされている中村先生にお話を伺うのはまさに適任かと思います。はじめに先生の研究テーマについてお伺いしてもよろしいでしょうか。

中村 私の関わっている分野は古典的な意味での生態学に非常に近いと思います。具体的なフィールドとしては、東京湾の水質やそこにいる生物の生態系にかかわる研究をしています。特に土木系におりますので水質をいかによく保つか。たとえば横浜市民や東京都民にとって良い水環境とはどういうものでそれに向けてどういった技術的な解決を見出していくことができるのか。その中でたとえば干潟が貴重だと言ったときに土木として何ができるんだろうかと。干潟に住む生物を作り出すことはできないですが、干潟の地形を土木的な工事によって作ることはできます。そこで自然の回復力に期待しながら、干潟の生態系の回復を期待してゆく。そういった研究をしております。

生態系における循環を考えたときに、水は最も重要な要素のひとつだと思います。中村先生の研究の立場から生態系、あるいは都市の生態系といったときにイメージされるものはどういうものでしょうか。

中村 最初の授業で必ず学生たちに、日本人の1日の平均的な水の利用量がどれくらいなのかと質問をするようにしています。3リットル、30リットル、300リットルの三択で尋ねるんですが、やっぱり30リットルと答える学生が多いです。正解は約300リットルです。えっと思われるかもしれないですが、日本人はお風呂を好みますし、ほかにトイレと洗濯などで水を使いますから多いです。では、もしその使用した水が東京湾にすべて流れ込んで来たとしたらいったいどうなるでしょうか。学生に説明するのは、三浦半島の観音崎と千葉県の富津を繋いだ内側が大体1000平方キロメートルほどで東京湾流域の人口は3000万人以上いますから、ちょうどそれは10m×10mの教室に3人分、毎日1立方メートルの水が排水として流れこむのと同じ数字だということです。きちんと処理しないとあっという間に東京湾の水は悪くなってしまうことがわかると思います。事実、高度成長期だった昭和30年代から40年代あたりまでは人口もぐっと増えていましたし、いろんな排水処理の施設も整わなかったり法律も整わなかったりということで水質がどんどん悪化した時期でした。

そうした環境から自然生態系を回復していくエンジニアリングというのは歴史的にはどういった背景を持っているのでしょうか。

中村 歴史としてはまだまだ浅いと思います。これは私の研究史とも重なりますが、以前は水質が非常に悪いと酸素の足りないところに曝気といって酸素をぶくぶくとあげたり、砂を被せたりと物理的な処理が中心でした。それが最近では自然にも回復力があること、生物がたくさん住むことで物質が十分循環してうまく機能することなどもわかってきました。生態学的環境修復という言葉が使われるようになってきています。もとの環境に戻すときに、無理やり外科手術的なことをすることもそれはそれで大事なことなんですけども、生物の住処を準備してあげて生態系をだんだんと回復させること、つまり生態系が持っている回復力を利用して環境を修復しようという研究が進み始めているんですね。

自然環境自身に回復力があるということなんでしょうか。

中村 そうなんです。場を少し回復させてあげると残っている干潟から生物がうまく移動してくれたり、卵やプランクトンといった形で移動したものが新しい場に定着したりしてだんだんと生態系が回復していきます。それを自然の回復力と呼んでいるわけです。みなさんちょっとびっくりされるんですけども、東京湾は幸いなことに大阪湾などと比べるとまだ自然の干潟が残っています。アクアラインを通って川崎から千葉側に渡りますと、木更津の手前にかかっている橋の両側に干潟が広がっているのが観察できます。冬になればのりひびが並んでいるのも見られます。実はこの干潟が残っていたのが非常に重要でした。ここにアサリだけでなくいろんな生物の生態系が豊かに残ってくれていました。アサリというのは生まれたばかりの時にプランクトンとして海の中を漂います。そうすると干潟の場所を新たに作ってあげると、そこに移動して育ちます。最近の研究で干潟同士のネットワークがいくつかありそうだということがわかってきました。そのネットワークをうまく機能させるにはどこに干潟があったらいいかをデザインすることもこれからは可能になってくるかもしれません。

そうした自然が回復する場というのはどういった条件で決まってくるものなんでしょうか。

中村 干潟や海浜をイメージしていただくといいと思います。例えば東京湾には人工的に作った干潟として、横浜市金沢区の海の公園や葛西臨海公園などがあります。そうしたところでは海中に砂を入れて干潟らしい地形を作っています。それが生物の住む基盤になります。その際、水際線や断面の形状など地形がすごく重要になってきますし、できている土の構成や粒子によっても住んでいる生物が全然違ってきます。例えばアサリを増やしたいなというときに泥っぽい干潟を作っても具合が悪い。逆に有明海に住むハゼなどは泥っぽいところを好むのでこちらは砂地だと具合が悪いんですね。それからある程度は大きさを持っていないと生態系としての特徴が出てきません。畑と違っていくらアサリが大事だとしても、アサリだけ住んでいるわけではなく他の生き物も少しずつ場所を変えながら住んでいます。そういうちょっとした水の深さであったり、標高の違いで住んでいる生物が変わってきます。そうしたことを考慮しながら基盤を整備できるのが理想になります。

逆に言うと、自然生態系がゼロになってしまうと回復力はかなり厳しいものになってしまうということでしょうか。

中村 そうなんです。あるリミットがあると思うんですが、東京湾の場合には干潟生態系がそのリミットよりは高いところで維持されていたと思います。一方で、大阪湾は東京湾よりはるかに早く開発が進んでしまったので、干潟らしい生態系が全然残っていないと言っても過言ではありません。そこで東京湾のように干潟生態系を回復させるのは非常に困難になります。

私たちが想像している以上に環境全体のネットワークが短期間で変化しているんですね。

中村 応答にもいろいろな種類があると思うんです。私が学生だったころには、多摩川の水は洗剤の泡がブカブカと浮かんでいるような状態でした。それを陸地からの排水をコントロールすることで、比較的短期間に解決することができました。このように規模が小さいとレスポンスは早いですよね。東京湾に関しても川の影響を受けやすい表層の水は割合早く応答してくれました。ところが海底に近い部分はなかなか応答が悪いんです。底泥はそれまでに蓄積した汚濁をずっとじわじわと溜めこんでいて、酸素を消費してしまうものがたくさん含まれています。そこに接した水も酸欠の状態を生じやすくなっているので深い部分はずっと悪いままなんです。底泥でも光が届く浅いところであれば砂のところにアサリなどもかなり住めますので、そうするとアサリ自身が持つ環境をよくする力でもってよくなる可能性が高い。ところが、もっと深くなりますとバクテリアなどが中心で住める生物も限られますので泥っぽい状況が続きます。このように早く応答するものもゆっくりとしか回復しないものとがありますので、そういう応答、特徴を見極めながら20年、30年さらに50年先にどのような状態に持って行くのかを考えることが必要です。

水環境にとって重要な要素とは何でしょうか。

中村 生物の生存にとって切り離せないのは溶けている酸素です。人間も呼吸をするのに酸素が必要ですが、水中にいる生物も酸素がある程度以上ないと住めません。ところが汚濁がある程度進み始めてしまうと酸欠状態が湾の中で起こりやすいんです。ですので、酸素のモニタリングというのはすごく大事になります。環境省は水質環境基準を昔から設定していますけども、最近改定して海底深いところの酸素の濃度も加えました。そうすると次の対応は酸素の濃度をあげる技術的な対応策はどういうことになるのかという工学的な対応も求められてきてます。

他に水中の生物にとって重要な要素などありますか。

中村 塩分も非常に大事ですね。ほとんどの生物は淡水なら淡水だけ、海水なら海水だけ、河口のように淡水と海水が混じった汽水なら空間的に限定された汽水のところだけというようにひとつのところにしか住めないのが普通です。鮎のように海水と淡水を行ったり来たりできる魚というのは非常に特殊な魚なんです。東京湾は海水だとイメージしがちなんですが、川を含めて淡水のところから塩分が加わり徐々に住んでいる生物が姿を変えていきます。酸素と塩分の状況によってどんどん住める生物が変わってしまいます。

農業ですと炭素が重要という方が多いですが、栄養の点ではどうでしょうか。

中村 陸の場合には窒素、リン酸、カリの三大要素がよく知られていますが、海の場合、カリは余っていることが多いんです。一方で窒素とリンは生物にとって不足しがちです。高度成長期がどういう状況だったかというと、窒素とリンが大量に流れ込んでしまってそれを栄養とするプランクトンが大量発生した状態になっていました。そこから規制して、有機物だけではなく窒素やリンもあまり海に流れ込まないようにしてきました。その結果、水質はかなり回復をしました。ところが窒素、リンといった栄養は生物にとっては大事なものでもあるわけです。窒素がないとタンパク質ができません。いま問題になっているのは、栄養が足りなすぎるということなんです。水がきれいになったのはいいけどきれいになりすぎだとおっしゃられる方も出始めています。汚濁が激しかった時期には「負荷をコントロールしましょう、下げましょう」ということでみんなの意見が一致していました。しかし、現在直面している課題は一方にもっと水をきれいにしたい、東京湾で泳げるようにしたいという方がいる。その一方で、昔のように江戸前の魚を食べられるようにしたい、もうちょっと魚が獲れるようにしたいという方もいます。東京湾ではまだそれほど声は大きくないですが、実際にいくつかの湾では海苔が育つ冬場は下水処理場の処理能力をわざと落として海苔に栄養をあげようする動きもあります。まだこれは成功したとも失敗したとも言えない段階ではありますが。そうした意味で、いままさに分岐点に差し掛かっているんですね。どういう湾にしたいのかその目的によってコントロールするもの、その量がずいぶんと変わってきてしまいます。

水中の土や生物、栄養といった様々な要素を湾単位でデザインすることが重要になってくるということでしょうか。

中村 そこはやはり適材適所になります。人々の利用の面から考えて、この場所にはどうしても港がないといけないとか、埋め立てて利用しないといけないといったところもあると思います。また、ここに干潟があるおかげで東京湾全体の生物生産がかなり支えられるといった肝になるところがどうやらありそうだということもわかってきました。優先順位として、ここの干潟は守らないといかないとか、ここは少し生態系を犠牲にして港を作ったり、埋め立て地を作ったりとかそうしたことがどうしても出てくると思うんです。

どんな湾にしたいのかというヴィジョンが問われつつあるということでしょうか。

中村 人間の営みが関連していますので、エンジニアだけで湾のあるべき姿を打ち立てるのはちょっとおこがましいと思うんです。人々の中で同意ができてこういう姿にしたいと決まれば、そこからがエンジニアリングの出番なんだと思います。とは言っても、やはり湾のあるべき姿について私どももいろんな意見や知見を持ってますので、ディスカッションや意見交流は積極的にやっていかないといけません。人の価値観、どういう社会に向かおうとしているのか、どういう水際線を人が求めているのか。やたらと干潟を作ればいいというものでもないですよね。いまは、かつて東京湾沿岸に住んでいた人々が東京湾とどういう付き合い方をしていたのか、資料をいろいろと発掘しながら進めている状況です。東京湾を修復するとしても、昔あった姿に無理のない形で近づけないとちょっとおかしなことになってしまいますから。

開発を続ければどうしても環境自体はやせ細っていきます。そうなったときに生態系を回復させるアクションも誰かが行っていかないとバランスは悪いですよね。これからは生態系に権利を与えていくといったことも必要になってくるのではないかと思うのですが、憲法や社会制度の中で環境を位置付けるアセスメントのような取り組みなどあったりするんでしょうか。

中村 それは現状でもなかなか難しいです。その中でも最近学問として進んできたのは、生態系の持っている価値を定量化することです。生態系サービスという言葉がよく使われてきていますが、それは生態系の持っているいろんな福利サービスが人間にとっていろんなメリットがあるものだと明らかにすることです。もちろんすべてがすべて置き換えられるとは思いませんが、可能なものは経済的な価値に置き換えていく。たとえば水の浄化力という点で干潟を何ヘクタール作ることと下水処理場を整備することが等価だった場合に、もし干潟の整備費の方が下水道の整備費より安いともしなればこちらの方を推進すべきだと経済的にも言えるわけです。ここでは少し単純化して言っていますが、そのようにして経済価値とできるだけ置き換えていこうといった動きはここ10年ほど生態系サービスという言葉とともにかなり進み始めていますね。

環境保護や生態系保護を単なる理念の問題として扱うのではなくて、人間が環境から受けるサービスとして扱うことで価値を持たせるということですね。

中村 もうひとつ最近の流行の言葉で、サステナビリティーというのがありますね。いま住んでいる社会や人間にとって都合がいいことばかりを追求すると次世代にとって非常に大きな負荷となる可能性がある。次世代も同じように便益を受けられる形で開発をしないといけません。そうすると、むやみやたらに干潟を潰して埋立地を作るということではなくて大事なところは残しつつ、あるいは広げるということをしながら、次世代にとってもその価値をずっと享受できるように受け継いでいくことが必要です。

建築の分野だと、外国では高速道路を壊すなど近代都市計画が行ったことを大胆に戻す例がいくつか見られます。湾においても埋め立てた場所を崩して自然護岸にする可能性などあり得るんでしょうか。

中村 まだ規模は小さいですが、遊休地になった埋立地に防波堤などを作って干潟っぽくするといったことは少しずつですが取り組まれ始めています。三重県に真珠の養殖で有名な英虞湾があります。ここもやはり干潟をだいぶ埋め立てていましたが、遊休地になっているところが結構あったものですから、海水を導入して干潟っぽくしようとしています。もっと規模の大きい東京湾などでの取り組みはまだ具体的にはありません。ですが、これは前から私自身の主張でもあるんですけど、例えば大阪湾の大きな埋立地も干潟に戻せるのではないかと思うんです。産業の構造も時代とともに随分と変わってきています。日本では、埋め立てて立地してきた重厚長大的な産業というのは徐々に衰退してきていると思います。大阪湾ですと、尼崎市に神戸製鋼、堺市に新日鉄がありましたが、神戸製鋼が撤退し、新日鉄も残ってはいますけど一部が遊休地に近くなっていました。その後、尼崎市にはパナソニックが入り、堺市にはシャープが入ってテレビ工場を作りました。その当時は良い利用をしたと周りの人は喜んでいたんですけど、ご承知の通りシャープもパナソニックの工場も撤退しようかという状況になっています。その後の使い方に関して、全部とは言えないですけれども、もともとどちらも干潟に近い場所でしたので海へと戻せるところもあるのではないでしょうか。長い時間のスパンで見たときには、そうした役割交代もあるんだと思います。産業の形態や経済の発展に応じて海の使い方も変わってきましたが、これから少子高齢化や人口増加を迎える中でいつまでも同じ使い方ではいけないと思います。

最後になりますが、都市イノベーション学府で学ぶ学生たちに期待したいことなどお伺いしたいと思います。

中村 水というのは人間を支える基本であるとともに、生態系などを通じて人々が様々な価値を享受してきたものでもあります。その付き合い方というのは、日本独自の文化もあれば歴史的な背景もあります。そして、今後どういう社会を目指すかによって、水辺の姿、水との付き合い方も変わってくると思います。土木工学の学生は土木工学だけを学べばいいということではなくて、都市が持ってきた文化的な背景や価値観、社会構造なども合わせて学んで欲しいと思います。それこそが都市イノベーション学府で学ぶ大きなメリットではないでしょうか。すぐ近くに少し違ったことを考えている分野であったり、先生だったりがいますので、積極的にディスカッションをしたりコミュニュケーションをとってもらいたいですね。

Yoshiyuki NAKAMURA
1955年生まれ。横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院 元・教授。専門分野は、環境動態解析、環境モデリング・保全修復技術、水工学、土木環境システム。湖沼や沿岸海域の水環境(水質・底質や生態系)、沿岸域の環境修復技術などに関する研究を行っている。長岡技術科学大学、九州大学に勤めた後、1999年から2013年までに運輸省港湾技術研究所(現、(独)港湾空港技術研究所)にて勤務する。著書に『東京湾』(恒星社厚生閣)、『貧酸素水塊 現状と対策』(生物研究社)(いずれも共著)などがある。