IUIピックアップ VOL.3

地形に刻まれた痕跡が
私たちに教えてくれること

インタビュー

小長井 一男[地震工学、地盤防災工学/元・教授

Interview with

Kazuo KONAGAI

地震工学、地盤防災工学をご専門とされている小長井一男教授は、直面する災害のみならず、過去に起きた出来事や今に受け継がれている事柄から地形の変化を捉えて、地盤にまつわる研究を行っている。現在の研究方法に至った経緯や研究内容などを中心にお話を伺った。
聞き手|藤原徹平
写真|鈴木淳哉(ポートレート)

今回のイヤーブックは「批評」がテーマです。小長井先生はご専門である地盤工学において、地盤の記憶を工学以外の視点を取り入れて読み解くという、ある種批評的な態度の研究方法を取り組んでおられます。まずは先生の研究について教えてください。

小長井 百人一首の一句に「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」という清原元輔の歌があります。貞観11(869)年の貞観地震のときに、ものすごい津波が来たんですがこの句にある「末の松山」には津波が到達しなかったことが詠み込まれています。貞観地震以降、古今和歌集や新古今和歌集でも末の松山という言葉が頻繁に使われるようになります。つまり史実を比喩に使っているんです。末の松山すら波が越えてしまうほど、あなたへの思いや恨みは強い、という具合です。末の松山は現在の宮城県多賀城市の辺りですが、実は2011年の東日本大震災の津波でもこの場所に到達する寸前で津波は止まっています。私は、このように過去の歴史が示してきた事柄や、残された記憶に目を向けて地盤の研究を行っています。人が残した記録も貴重ですが、地盤というのは、力を加えると塑性変形してその形がそのまま残る、ちょうど磁気テープのような履歴材料の役割を果たします。つまり、過去に起こったことを地盤が記憶してくれているんです。昨今、将来の地震予測についてよく聞かれますが、予測は正直、非常に難しいのです。一方で、過去に起きた事柄について掘り起こしていくと、多くのことに気づかされるのです。地盤という材料に残された過去の記憶からどんな情報が読み取れるのか。それを今後の防災にどう役に立てていくのか、日々研究を続けています。

先生は2016年に発生した熊本地震についても多くの調査をされています。そこでは、どういったことがわかってきたのでしょうか。

小長井 熊本地震の状況をみますと、とにかく大きな地震だったと言えます。1995年の阪神淡路大震災と比較しても、余震の範囲が格段に大きいのです。規模だけではなく、強さも大きかったのです。断層に沿っていろんな地盤変形が起こっていて、特に悲惨だったのが阿蘇の外輪山が切れる火口瀬と呼ばれるところにある阿蘇大橋周辺です。阿蘇大橋は、後ろの外輪山山腹の崩壊でごそっと落とされてしまいました。男子大学生の捜索が進められていましたが、長い時間経って、残念ながら遺体となって見つかった場所です。その場所を航空レーザーでスキャンした画像で確認すると、過去に何度も斜面が崩壊していた場所であることが確認できます。さらにこうした崩壊地背後に新しい亀裂もたくさん入っています。つまり阿蘇大橋周辺の地盤からは、これまで何度も崩壊してきた過去と、新たな地盤の変化が見られる現在と、いずれまた、斜面崩壊が起きるかもしれないという未来のリスクを同時に観察することができるのです。こういった熊本地震の地盤状態については国土交通省も気にしていて、かなりの大きな復興予算を使って将来の崩壊を防ぐために前もって土砂を除去する工事を始めようとしています。
 今回の熊本地震で困ったのは、過去の地震の地盤痕跡が埋もれてわからない阿蘇カルデラのなかに大きな陥没帯が現れてきたことです。陥没帯付近でドローンを飛ばしてみると、亀裂が走った真ん中の地盤がすとんと1mほど落ちているのが分かりました。近所の人の話では、ものすごい揺れとほぼ同時に地面が落ちたということでした。地盤が陥没した付近には火山灰や軽石が堆積していました。はじめは液状化が起きたと考えたんですが、どうも明瞭な液状化の痕跡が見られないのです。なんでこんなところが下がったのかが、わからないままなのです。火山灰や軽石で、過去の地盤の記憶が埋もれてしまっているので推測するのがなおさら困難なんです。こうした地形の痕跡の消失は、同じ火山を抱える神奈川県などでも気をつけなければいけない問題だと思います。地盤が持つ過去の記憶というのは重要な情報なんです。
 ただ、別のところから手がかりを得ることもあります。阿蘇市に小野原(おのばる)という遺跡群がありますが、この遺跡のなかで同じような陥没が見つかっています。熊本市の教育委員会が2010年に出した調査報告書によると、これは正断層であるという解釈をしています。地震の痕跡が遺跡から見つかっているわけです。つまり、遺跡を掘り起こすことで、埋もれてしまった地形の記憶を知ることができ、阿蘇山周辺の地盤について手がかりを得ることができたんです。こうした、地形に残った証拠をひとつひとつかき集めながら災害発生の予測につなげ、他の地域と情報共有して、町の人にも知ってもらうことで社会に役立たせたいと思っています。同じような火山灰層を持っている地盤は、日本中に少なからずあると思いますから、そうしたところとも情報共有していくことが大事だと考えています。

遺跡の調査報告から埋もれた地形の状態がわかるのは興味深いですね。ほかにも地盤の情報を知る糸口はあるのでしょうか。

小長井 災害の記憶は、地名にも残されていることがあります。たとえば、歌川広重が描いた浮世絵に出てくる吉原の「左富士」というところです。東海道五十三次を江戸から京都に向かって歩いていくと、一箇所だけ富士山が左側に見える場所があります。東京から新幹線に乗ると富士山が現れるのは必ず右側ですよね。でも、旧東海道には一箇所だけ左手に見える場所があって、左富士と言われています。そこが吉原というところです。吉原という漢字は今は「吉」の字を書きますけれど、おそらく水辺に生える「葦」を意味していて、湿地帯に近いところだったのでしょう。津波や季節風の被害が頻発する場所だったので、寛永16(1639)年から17(1640)年に内陸に入ったところに移転します。しかし延宝8(1680)年にまた津波が来て、また被害を受けたのです。そのため、さらに内陸へと入っていきます。それに伴い街道も内陸へ大きく湾曲することになり、街道の左側に富士山が見えるようになりました。つまり、吉原というエリアは、歴史上、常に津波の危険にさらされ、逃げるように発展してきた記憶があるわけです。この歴史の記憶が、今後の対策において重要になってきます。地名を紐解くことで災害が起きる可能性を予測できるというわけですね

百人一首は文学の世界、遺跡や地名は歴史学や考古学の世界ですよね。そういった分野から地盤工学にジャンプする視点は非常におもしろいです。小長井先生は昔からそういった多方面への興味をお持ちなんでしょうか。

小長井 大学のころに能の鼓をやっていたんです。趣味というか、当時は半ばプロになるつもりでいました。それはともかく、実は能のなかで、これはひょっとして土木の話ではと思わせる話が結構あるんです。そこからでしょうか、なんとなく文学の世界に興味を持つようになりました。とはいっても昔はガチガチの構造屋でしたから、地震の揺れや地震記録を使って研究をしていたんですが、なにせ地震記録の数が少ないんですね。2001年にペルーで大地震があったときに調査で現地入りしたのですが、そこには地震計が3つしかなかったんです。ひとつは壊れていて、もうひとつはたまたま地震が来たときにパーティーの飾りつけをやっていて差し込みが足りず地震計のプラグを抜いていたため、記録がとれていませんでした。ですから、たったひとつの地震計の記録しか頼れるものがなかったんです。これはかなり困りものでした。専門家として派遣されているのに、何を調査して帰ればいいんだと。そのときに、記録がないなら地面の変形を見るしかないだろうと思ったんです。被害が多いところは地盤が変形した跡がありましたから、そこをちゃんと調査していけばなんとか原因にたどり着けるかもしれないと思ったんです。このペルー地震をきっかけに、限られた材料をつなぎ合わせて調査を行うというように、だんだん研究の方法が変わってきました。そうした変化が多方面への興味や関心にもつながっていると思います。

地震がこれほど頻繁に起きている日本でも、十分な量の地震の記録があるわけではないということですか。

小長井 そうですね。地形の変形は、日本ですとGPSの基地局を割と細かい間隔で設けていますから、その意味では日本列島全体にひずみ計をつけているみたいに動きはわかります。ただ、ローカルな変形までは追いかけられていないのが現実です。ローカルというのはひとつひとつの敷地とか建物の被害のようなものです。ボーリングデータも日本には非常に多くあり、国交省レベルで11万本ほど集約して、ウェブサイトに掲載しています。そういう意味では日本は圧倒的な先進国です。でも、この国交省のサイトのボーリングデータはだいたい都会地の道路沿いにしかないんです。山間部にはありません。都市が大事だといえばそれまでなんですけれど、非常に偏ったデータになってしまいます。したがって、地震が多い日本でも、得られている情報は不完全ということになります。それでも、まばらな情報だけどないよりははるかにいい。そういった断片的なデータのうえに空間的にどう地盤が変形したかを重ねていくことで、多くのことが読み取れるのではないかと考えています。

研究において、まったく関係のないものからヒントを得たり、結びつけたりするために必要な視点はどういうことだと思いますか。

小長井 先ほどのペルー地震がそうですが、私の場合は、制約から始まっているんです。要するに、研究するのに少ない情報に頼っているだけだと行き詰まるという感覚です。たとえば、理論展開なら計算機でいろんな解析ができますが、それにはすべてのデータがわかっているという前提があります。でも、地盤工学の場合は、往々にしてデータはわかっていないんです。我々が観測できるのは地盤の表面の変化に限られてしまいますし、そこからわかることには限界があるんです。いや限界だらけなんです。でも、やはり答えを見つけていかないといけない。そうしないと観測したという以上の話になりません。話にならないと役に立たない。役に立たないものなど社会では使ってもらえません。限界を感じて諦めるのではなく、手元のデータ以外にも新しい切り口があるんじゃないかと模索し研究することが必要なんです。ときには手当たり次第、違う可能性を探ってみることもあります。
 あとは、既存のデータを疑ってかかることです。研究する場合、情報を選別して不要なものは捨て去って使います。そもそも情報を捨て去るのがデータ処理です。その過程で核となる部分を削り出していきますが、既存の限られたデータから削り出したものには限界があったり、また削り方に誤りがあるかもしれません。与えられたデータや通説を鵜呑みにせずに現場を見ること、リアルな現実を見ることが重要になってきます。現場はひとつひとつ違いますし、今までの自分の論理で解釈できないものを示してくれたりもします。現場が自分を批評的に見てくれると言えるのかもしれません。常に可能性を模索しながら、真摯に現場と向き合うことが研究を行うなかで必要な視点だと思います。

Kazuo KONAGAI
1952年生まれ。本学大学院都市イノベーション研究院 元・教授。専門分野は地震工学、地盤防災工学。1979年東京大学大学院博士過程中退。1997~2013年 東京大学生産技術研究所教授。2013年より横浜国立大学の教授を務める。国内外多数の地域の地震被害調査の経験を踏まえ、地震時の地盤変形と社会基盤施設、地震後の地盤変形と国土保全について研究している。