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活動報告書

81参加があって、町中が参加者であふれていて、街の中をみんながパンフレットをもって歩き回っていたり、施設の前にはたくさんの人が並んでいて、公開される建物にはバナーがあるので、イベントをやっている盛り上がりがみえます。参加者のアンケートには、参加者の3割程が行ったことのないエリアを初めてみたとの回答で、しかも9割が「もう一度行きたい」と答えています。ですから、このイベントは都市を知る役割を果たしていると思います。この取組では建物所有者も大事な役割をもっていて、オーナーが自ら見学者へ説明をすることもあります。この取組を始めた当初、公開される建物は30棟ほどでしたが、今では公開の依頼をする700の施設のうち8割が承諾されるそうで、規模も成長してきているイベントです。私が訪問した個人宅では所有者が誇らしげにご自宅の話されていました。ご自身で書かれた案内がある家もあって、普段の様子を自慢げに、お話されてました。その建物は1960年代のアレキサンダーロンドンという社会住宅の集合住宅で、RC 造の建物です。今もなお魅力的で、建物の一角で子供たちが遊んでいたり、心地よい空間スケールで構成されています。オープンハウスでは建物の一部が公開されていました。中に入ると、室内には木のぬくもりを感じられる空間となっていて、暖かい雰囲気でした。外観のコンクリートから感じる雰囲気と全くことなる印象でしたので驚きました。この建物は社会住宅なので、各々の住戸は狭いのですが引き戸を用いるなど、各所に工夫がみられます。なかには空調の吹き出し口が下部にあり、座っている足元からあたたかい空気を感じるなど、図面と写真ではわかりえなかったことを実体験することができました。オーナーの方々も見学者から「素晴らしい建物ですね」と言われ、自分の建物の価値を理解したり、愛着も増してくると思います。この取組ではボランティアの存在は欠かせません。期間中は6000人もの人々が働いていています。例えば公開する施設になった小学校の担当のボランティアは自身がipad を用いて参加者へ説明をしてくれています。このボランティアの人たちは「プライオリティーエントリー」と書かれた専用のバッジをつけていて、2日間のイベントうち1日をイベントのお手伝いをし、他の1日は優先的に見学できます。ですからボランティア自身も勉強できる仕組みがあり、この取組の多くの参加者があり、ある意味で来場者によってガイドも参加も構成されていました。この取組は1992年に始まり今では世界中に広がって、22の都市が加盟していますが、このオープンハウスの傘下にあるわけではなく、独立した取組です。この取組の条件は、都市の質に高めようとする目標と、参加費は無料、また運営方法は非営利であり、これらを掲げて連携を広げています。都市を開くということで、紹介した二つの取り組みは二つのポイントがあって一つは、都市を自分たちで学びつつ教育することが地域の価値を高めることになる、という強い信念です。その考えを強くもつことが成功の秘訣と僕は思います。もう一つは様々な、プレイヤー自身が参加でき、自分の取組として形成されつつ自分の建物を公開するマインドが育いることが魅力的に思います。都市のエネルギー今和次郎氏は生活、民族風習などの幅広い分野の研究者で、関東大震災の後に焼け跡にたてられたバラックと呼ばれる建物に着目し、荒野から街が立ち上がるエネルギーがバラックにあるように彼には感じたようです。この建物が人間の力を呼び起こす象徴として注目し、これを称賛して建物へ絵を描こうという取組が行われていったそうです。建物のみが力をもつという概念ではなく、建物をとりまく人々の活動など外部も含めてエネルギーを、もっているということです。それによって、元気づけたり、おたがいでかけあったり、都市をエネルギーとして着目された取組であったと思います。今も被災地は厳しい活動のなかで現地の建物へ絵を描く取り組みがされていますが、地域や都市のエネルギーの源流になっていくような取組がありました。韓国ではソウルの東側にある劇場街にあってこれも社会事業の一貫で、住宅などの外壁にアート、絵を書いていく取組がされています。2006年に生活環境の改善事業の一貫として70名の作家さんと地域の人と8か所くらいをペイントをした取組です。このような取組が地域の活動として自らの愛着として人の目線にもふれて地域のものとして理解されていくのは行ってみるとすごいなと思う程度かもしれないのですが、今の日本では難しい取組かもしれません。そのようなときに開く心のようなものが大切ではないかと思います。都市の価値、都市の在り方を大切にいく取組として工場を公開する取組、墨田区のすみだオープンファクトリー、台東区に皮などの卸売業などがたくさんあってその公開イベントもあって、紹介します。大田でもやっています。町工場をある地域で公開する取組です。町工場を開くのは実は難しいもので、大田の町工場はBtoB ビジネスオンビジネスで製品そのものというよりも製品の一部のねじなどを製造しているので、消費者に直接ものをうるような、自分でデザインしてものをつくることもほとんどないのですが、大田という名称は有名なので工場見学の希望者が多いのですが、事業者としては作業を止めて工場見学者を受け入れるので、しかしながら大きな工場も撤退などがあるので、自分の出先も見えづらい状況になっています。ピーク時の工場数よりも半減していて今後は考えなおさないと工場が持たなくなる状況にあります。そこで操業を止めることなく、年に1.2回ほどでオープンしましょうと工場を説得して一日で工場をみんなでまわれるようなイベントにすればお互いの負担もなく見学できるのではというものになっています。大田区は西側に田園調布、東側に工業地帯があってさらには羽田空港もあり、あらゆるものが揃っています。ここで糀谷、また下丸子などの二つの拠点があります。大田の町工場は様々な職人さんの技術によって構成されると思われているのですが、実は戦前は白洋舎が主でした。耕地整理という、区画整理の前の手法で大田にはその耕地整理で44地区ができていますが、工業都市をつくろうと先進的なエリアがこの下丸子周辺でつくられ、当時の白洋舎は工場だけでなく講堂や社宅、中庭など、街があってそのなかで最先端のクリーニングを担っていました。クリエイティブな空気が広がっていました。タイプライターをつくっていた黒沢商店も社宅などもここにあって、敷地内の一部にお花畑がある工場があったり、アントニン・レーモンドがつくったエレベーターの工場など、蒲田周辺には最先端のものづくりの街でした。下丸子では工業都市をつくる新しい都市計画が行われた工場があった