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122凸凹地形が紡いだ江戸東京の歴史次は具体的に、六本木の凸凹地形を取り上げてみましょう。六本木のアマンドのある交差点はまさに尾根筋です。六本木通りと外苑東通りと、周りにたくさんの窪地があります。名前のとおり、地名からしても、六つのスリバチがあるんじゃないかと勘違いしたくなります。地名に「木」が含まれていると、そこは高台であることが多いようです。なぜかと言いますと、目立つ木があってついた場合が多く、木が目立つというのは、その土地が高台で遠くから木が見えたからだと解釈できます。ですから代々木にしても、六本木にしても、木が地名に付いた場所の多くは高台なのです。古くから丘の上に木があって、それを目印に付けた地名なのでしょうね。それでは六本木周辺にあるスリバチをいくつか紹介します。例えば、麻布台や麻布十番にはスリバチがあって、いいスリバチ風景が裏町に潜んでいます。この写真は我善坊谷と呼ばれるスリバチで、江戸時代には組屋敷がありました。組屋敷ということは下級武士、武士の中でも給料の安い武士の住む屋敷地のことで、幕府からあてがわれたものでした。我善坊谷の脇には三年坂と名のつけられた坂があり、谷全体を俯瞰することができます。この谷はタモリさんもよくご存じで、「いい雰囲気の谷間なんだよなあ」と言っていました。現在、地上げが進行中で、近いうちに再開発されてしまうことでしょう。この風景はぜひ今のうちに見に行くことをおすすめします。丘の上に麻布郵便局の建物や、大きなマンション、大使館などがならび、それとは対照的に谷間に広がる低層住宅が密集するスリバチ風景を「下町系スリバチ」と言っています。スリバチ状の窪地は江戸時代、水田あるいは職人の住むところ、あるいは組屋敷だった場所が多い。その場所が現代になっても土地の区割りをあまり変えずに、上物である建物が入れ替わっているだけ。いっぽう丘の上は大名屋敷あるいは武家地だった場所が多いんですけれども、その大きな敷地割りはそのまま明治時代に引き継がれます。明治時代になると広い敷地を活かして政府系の施設であったり、軍の施設であったり、それから官舎であったり大使館が建てられます。または、病院や学校の用地になったりして、丘の上は大きな建物が建ちます。ですから土地の高低差の違いで、非常に対比的な街並みとなります。丘の上と下町で、こうした風景のギャップが見られるのは、まさに江戸から引き継いだ土地利用、いわば歴史の痕跡であるわけです。 模式図で補足しておきましょう。浅草や上野などの海沿いの下町低地(海岸平野)も確かに「下町」と呼ばれていますが、私が「下町系スリバチ」と言っているのは、山の手台地に点在する窪地のことです。模式図の通り、江戸時代、水田や町人地、組屋敷だった場所が、現代もそのまま住宅地や商業地に引き継がれています。いっぽう山の手の台地は武家屋敷や大名屋敷だった場所ですが、学校、病院、大使館、官舎になってゆきます。ですので、山の手の凸凹地形を歩いていると、この写真のように麻布・板橋といった、全く別な場所でも似たような風景に出会います。丘の上のマンションと麓の下町、このような対比的な風景に、デジャブのような風景に出会って驚くことしばしばです。このことは、東京の都市景観あるいはその都市の成り立ちに、ある法則性やルールがあることを物語っていると思います。この事実を「都市生成には構造がある」と私は言いますが、地形の高低差に応じて都市が作られているのも東京の個性を育んでいます。東京の町は、非常に雑然としていて分かりにくいとも言われますが、地形の高低差を背景とした意味のある風景がつくられている。だから、地形に視点を置いて分析すれば、意外にも捉えどころのある都市なんじゃないのかなと思います。下町系スリバチといわれる場所はたくさんあります。東京の山の手を歩いてみると、下町と呼ばれる場所は、坂を下りた低い場所にあることが分かります。たとえば谷中銀座や染井銀座、目黒銀座や自由が丘など。自由が丘は名前に「丘」がついていますが、繁華街として賑わうあたりは九品仏川がつくった低地にあります。川跡は緑道として整備され、歩行者天国のショッピングストリートになっています。同じ事例として、裏原宿のキャットストリートは渋谷川の川跡を整備してできた町です。キャットストリートを下ってゆくと、渋谷にたどり着きますよね。その渋谷はまさにスリバチ状の町、谷の底の町です。渋谷の繁華街のまわりには、神山町、円山町、鉢山町、代官山町など「山」のついた名前がありますが、それぞれの町に違う名前がついているのは、町とのあいだに川がかつて流れていて別々の町だったからです。言ってみれば谷あっての「山」なんですね。川がなかったら、こんな別々に名が付かなかったと思います。一方、川が流れた谷間の町にも神泉、富ヶ谷、穏田、鴬谷といった別々の名が付けられました。渋谷駅あたりはまさに谷の底で、いつ行っても人が集まってきますよね。これはやはり、人間的な心理的なものがあるのではないかと思います。それを「谷に集まるのはムーミンだけではない。」と言っています(笑)。確かに人の心理として、谷に下りたくなるというのは分かる気がしますよね。だから商業地が谷底にあるというのも理にかなっているんじゃないかなと思います。世界的にも、地形的観点で眺めてみると、谷間の町は魅力的なのが分かります。パリのポンピドゥーセンター前の広場に、人が多く集まる写真を見て「なぜだろう?」と疑問に思っていたのですが、実際に行ってみたらやはりスリバチ状になっていました。サンクン広場と呼ばれる窪地あたりは、マレ地区と呼ばれますが、「マレ」とは「低湿地」を意味するらしいです。セーヌ川の川跡だった場所で、パリの下町にも微妙な高低差ですがあり、町の個性をつくっている。次の写真はヨーロッパで一番美しい広場と言われているカンポ広場です。イタリアのシエナという山岳都市にある広場も、まさにスリバチ状のくぼ地を生かした広場でした。現地でそのことを確認し、広場のオープンカフェでちょっとトスカーナワインを飲みながら広場の風景を見て「(四谷の)荒木町みたいだな」と思いました(笑)。2 つの写真で比較してみると、荒木町とシエナのカンポ広場は空間的にも大きさ的にも似ていることが分かります。まあ、私がスリバチに惹かれるのも人の根源的なものもなか、とも思ったりしています。そのほかにも都内のスリバチ地形を歩いていると、世界的にも有名な風景に出会えますよ。新婚旅行でスペイン・コルドバの花の路地を歩いていたとき、妻は「きれいな路地ね」とか言っていましたが、私は「東池袋みたいだな」との感想を持ちました。写真の通り、コルドバの路地と、東池袋の路地を見比べてみると似ていることが分かりますよね。他にもありますよ。おしゃれなパリのパサージュに行ったときにも「雑司ヶ谷みたいだな」と思いました。写真を見比べてみると似て