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120シエ」として紹介されました。彼女はとても器用な方で、もともとはご自身の撮った写真でアート系の本も出されています。彼女が番組で作ったのは、クレープを積層させてミルフィーユにしたもので、コンタ模型のように地形の起伏を表現しました。抹茶パウダーやココアパウダーを使って生地に色を付け、積層されている感じを表現したミルフィーユを作ってタモリさんに現地で食べていただこう、という企画でした。拙書『凹凸を楽しむ東京スリバチ地形散歩』(洋泉社)の表紙に使われている地図を作ってくれたのがこの杉浦さんなのです。最近、凸凹地形や地図を扱った書籍は多く出版されていますが、彼女の作る地図は芸術的ともいえます。実際に、ロケバスの中でタモリさんとも話をした際、タモリさんもやっぱりこの本の地図に注目されていて「いろいろ見たのだけど、このスリバチ本の地図が一番きれいなんだよな~」と言ってくれて、杉浦さんとともに感激しました。タモリさんには、杉浦さんが作成したことを言っていなかったからです。それからもう一つ。これはちょっと自慢になっちゃうのですけども、スリバチの本の中には、地形と街並みを表現した断面展開図がありますが、その図は私自身が描きました。その断面展開図もタモリさんにすごく褒めていただきました。というわけでして、タモリさんご推薦の拙書を今日は何冊か持ってきていますので、興味のある方は後でちょっと手に取っていただければ幸いです。 東京の凸凹地形について東京の凸凹地形は、武蔵野台地を流れた河川がつくり出したものです。地形図でも分かるように武蔵野台地がほぼ平らなのですが、それは台地がもともとは海の底だったからです。海面が今よりも高い時代に、遠浅の海だった場所なのです。海の底だった平らな土地が、海面がだんだん下がっていくにつれて陸地化され、そこに火山灰が降り積もりました。そこに雨が降って谷間が削られる。さらに、火山灰は降り積もり続けたのですが、水が流れる場所には火山灰が堆積しませんから、地形の高低差が強調されて、結果として平らな台地と深い谷が形成されました。渋谷、千駄ヶ谷、市ヶ谷、四谷、幡ヶ谷、阿佐ヶ谷などは、その名の通り地形的にもまさに谷の町です。郊外に行っても祖師谷、世田谷、保谷など、谷のつく地名はまだまだありますよね。東京を語るに谷に着目するのは東京の成り立ちを知るにも有効だと思っています。谷間(スリバチ)の町の魅力とは?それでは具体的に、スリバチ地形が分かる場所を紹介してゆきます。まずはタモリ倶楽部でも紹介した典型的なスリバチ地形の町を取り上げましょう。丸の内線の四谷三丁目駅を降りて新宿通りから北へちょっと歩くと荒木町という町があるのを知っている人は、どれぐらいいらっしゃいますかね。結構いらっしゃいますね。ちょっと隠れ里っぽくて、通な感じの小粋なお店が多い町として、一種独特な雰囲気を持っています。そんな不思議な魅力を持つ荒木町ができたのも、実はスリバチ状の地形が関係しています。荒木町は、正真正銘のスリバチ状の窪地になっています。もともと水が作った谷ですから、谷には必ず出口があるはずなんですけれども、地形図でも分かる通り、谷の出口が土手のようなもので塞がれていますよね。これは江戸時代につくられた土手、ダムなのです。荒木町とは外苑東通りと新宿通りに挟まれたエリアを指しますが、江戸期の地図ではもともと松平摂津守の大名屋敷、上屋敷があった所だったのが分かります。東京に点在する谷戸とは、もともと水が湧き出ていたので大名庭園を作るには非常に都合のいい敷地でした。江戸期の地図では大名庭園の中に大きな池が描かれていますね。現在の新宿通りはもともと甲州街道で、徳川家康の最終退却路とも言われています。ですから自分の一番信頼の置ける家臣の屋敷を配置しました。江戸城に一番近い所には服部半蔵の屋敷を置いて、甲州街道沿いには松平家や内藤家の屋敷を、置きました。松平摂津守の大名屋敷の庭園を描いた絵図では、丘の上の大名屋敷があり、まさに南側の谷間にある池を見下ろすような一番いい場所に屋敷を構えたわけです。カシミール3D のデータで荒木町を見ると、見事に窪んでいる感じがわかりますよね。この地形は今でも町の何かにちゃんと残っています。南側に甲州街道が走っていて、東側の津の守坂と呼ばれる通りから屋敷にアプローチするための道路がつくられ、その道路が湧き出る水をせき止めるダムの役割も担ったようです。まさに江戸時代に造られた人工の土手・ダムなのです。この付近には他にも、スリバチ状の地形がたくさんあるのが凹凸地形図からもよく分かりますよね。自然の地形ですから必ず水が流れていく方向に開いています。このように出口のある谷の先端部分、3方向囲まれている窪地を「2級スリバチ」と言っています。ですから一般的な普通の谷は3級スリバチということになります。いっぽう、荒木町の場合は、(水の流れていく)出口がないので、まさに4方向囲まれた窪地で、「1級スリバチ」と名づけています。ちなみに、四谷三丁目の南、今話題の国立競技場も渋谷川がつくった地形、高低差のある土地をうまく活用しているのが地形図から分かりますね。今現在、荒木町を丘の上から眺めると、谷間の中に低層の住宅が密集するように建っている風景が眺められます。そして、崖の上は集合住宅が建っています。崖の上の「集合住宅」に対し、崖の下では「住宅が集合」している、こうした対比からもわかるように地形の高低差に応じて東京の町は土地の高低差に応ずるよう対比的な街並みが形成されています。明治になってから描かれた荒木町の錦絵では、まだまだ大きな池が明治には残っていたことがわかります。料理屋さんなどの建物が池の周りに描かれていますね。幕末を経て、明治の時代になると、殿様の居た大名屋敷は収用あるいは接収されていきます。多くの大名屋敷は政府系の施設や、当時成功した実業家などに買われるなどしていくのですが、この荒木町だけは特異な経過を辿りました。風光明媚な池に誘われるように、茶屋や芝居小屋などが集まる町として賑わってゆきます。昭和にかけては芸者さんが居る「花町」として発展します。いわゆる三業地として、後で紹介する他の大名庭園跡とはまったく異なった、荒木町独特な歴史を歩んでいました。大名屋敷がこういう歓楽街になったスリバチというのは荒木町だけなので、今のこの風景は東京の中でも本当に貴重といえます。かつての大名庭園には、4mぐらいの滝があったという記録が残っています。現在その場所には大名屋敷庭園の池の名残が残っていて、畔には津