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115産地、この2つを発信するため会社を作ってすぐに始めた事業でした。林芳亨(はやし・よしゆき)さんという、「Denime(ドゥ ニーム)」というデニムのブランドを立ち上げ、今「RESOLUTE(リゾルト)」というブランドを立ち上げた福山市出身の方と私は懇意にしてたこともありまして、彼に『一緒に何かデニムを使って町を元気にするようなことができないかな』という話をしましたところ、一緒にアイデアを出してくれました。この「尾道デニムプロジェクト」は、本物のリアルユーズドデニムをみんなで作り上げるというプロジェクトです。プロジェクト第一弾は、尾道の人、例えば漁師の人、お坊さん、お医者さん、保母さんなど、いろんな職業の方270人に無償で2本ずつ新しいデニムを提供し、一年中、最低でも週に4日デニムをはいてもらい、1週間に1回ディスカバーリンクせとうちのメンバーがそのデニムを回収して洗い工場に出す、ということを1年間繰り返しました。それぞれ落ち方の違う色のデニム、意図的に加工したデニムじゃなくて本物のリアルユーズドと作ろうというので「尾道デニム」を作り上げました。繊研新聞の一面にも取り上げていただき、地元のテレビ、ラジオ、雑誌にもたくさん取り上げていただきました。270人の人にとって「一年中、最低でも週に4日デニムをはいてください」というのは本当に大変な作業です。夏場もデニムをはかないといけない。仕事中もずっとはくという中で、やっぱり尾道だからこそできたような気がします。これは270人の協力なくしてはできなかった。そういったデニムが今、尾道の商店街に「ONOMICHI DENIM SHOP(尾道デニムショップ)」という旗艦店を構えて販売されています。値段が一番高いデニムは4万円、安くても2万5000円くらいするんですけれども、これが本当に不思議なことに1日1本から2本は売れていくんです。本当に人通りも少ない商店街で。このデニムのプロジェクトを1年間追い続けてくれた方々が買いに来てくれますし、あとFacebook なりいろんなホームページでこの情報を知ったデニム好きな人たちが東京などから買いに来てくれる。「ONOMICHI DENIM SHOP」の店員のうちで25歳くらいの若い女性店員は、このデニムのプロジェクトを知って関東から車で十何時間かけて来て、『デニムにももちろん興味あるけれども、こういった町おこしが非常に興味あるんです。デニムのショップができるというので、できたら私に働かせてください』というので、神奈川から来て、今このデニムのショップに立って働いてます。私たちが本当にやりたいのは外に出た人が地元に帰ってくれて仕事をしてくれることです。まあ、本当にゆかりのない人が尾道に来て仕事をしてくれる、僕らの瀬戸内・備後に来てくれるというのが、これから新しい事業を生んで興味ある仕事をやっていくという意味ではたかが1 人ということでもありますけれども、1人の人が来てくれるというのは本当に私たちのこれからの事業の力になるなと思っています。尾道自由大学これは皆さんご存じの方もいらっしゃるかと思います。世田谷ものづくり学校にあった「自由大学」に、これも縁あって人を通じ、私たちは見学に行きまして、私自身非常に感動しました。何の資格も取れず、そういう意味では「何のために皆さん勉強してるんかな」というふうな形で見に行ったら、ホームレスの方がお金がなくても勉強できる方法であったり、まあ神主さんでもない方が神社学をやってたりとか。先生と生徒の関係なく、授業をつくり上げてそこでみんなで学びましょうと。何の資格も取れないけども学びたいことを学ぼうというので世田谷では週末とか平日の夜にやられていました。だけどもなかなか尾道では人がそういう意味では集まってないです。土曜日や日曜日に開講して、いま、大体20くらいの講座ができました。いま話をした「ONOMICHI U2」や宿のプロジェクトを手掛けている会社という意味では少し地元で派手なイメージを持たれたり、この人たちはどんどん色んなことをやるなというふうに言われたりする中で、「尾道自由大学」は町に溶け込んだ形でじっくりと育てていきたいなと思っています。先ほど話しましたように私自身は福山の出身で、ディスカバーリンクせとうちを作った時も「この人たち尾道に来て尾道の町を使って何か商売しようとしてるんじゃないかな」というのがスタートしてからの1年だったんですけども、こういった宿をやったり「ONOMICHI U2」、デニム、自由大学をやったりという中で徐々に、みんなに信頼してもらえたというか、やっと僕らがやろうとしていることが分かってもらいつつあるような現状です。伝統産業プロジェクト僕らが「伝統産業プロジェクト」という名前を付けてやっているプロジェクトですが、「備後畳表」と「備後絣(がすり)」が伝統産業であります。40年、50年前というのは「備後畳表」と「備後絣」両方ともに250軒から300軒のかたが従事をされていました。今は「備後絣」に関しては2軒しか生地を作るところが残ってない、「備後畳表」に関しては数軒しか残ってないという現状があります。先ほどの「湊のやど」の中でも私たちは備後絣を使ったクッションだったり、備後畳表を採用して畳を使ったり、ソファに備後畳表を使ったりしています。備後畳表に関しては、い草自体の在庫がなくなっているという現状がありまして、地元の高校と組んで、い草の栽培を今始めているところです。僕は繊維の仕事をしており、備後絣という名前は私自身もちろん知っています。三大かすりの一つです。しかし、備後絣に触ったことがなかったというのは、繊維のことをやっていて大きな反省ではあります。いま、尾道は造船で栄えています。福山市は製鉄があったり繊維の産地であったりして、府中という場所は家具の産地であったりするんです。40年、50年前に備後絣に従事していた250軒から300軒がもう数軒しかないということを考えると、今ある産業もこれから40年、50年先、もしかしたら備後畳表、備後絣と同じようなことが起きるかもしれない。こういった伝統産業を継承して発信をすることが、僕らがこれから先仕事をしていく上でも、継続していく上でも何かのヒントになるんじゃないかなという思いで、この伝統産業というプロジェクトを今やっています。