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活動報告書

105を食べましょうというイベントを始めました。声をかけると、いきなり200人ほどにインターネットなどで広まって、その後もどんどん増えていったんです。たとえ今は臭くて汚ない場所であっても見る目を変えるきっかけがあったら、いいところにはそう思う人たちが集まるんだな、ということを実感したイベントです。水辺不動産吉崎もうひとつ紹介するプロジェクトは、遊ぶだけじゃなくて住んでもらおう、日常にしよう、という話で、「水辺不動産」を立ち上げました。「水辺一家」という架空の一家を想定して、中谷ノボルさんが水辺一家の「水辺すみお」というお父さん役で、同じ会社のスタッフが扮したおかあさん役は「水辺すみこ」という名前で、水辺一家の娘として私が「水辺かおり」という女子高校に通う娘役に扮しました。大阪は楽しい事もやりながら、まじめなことにも取り組む地域です。これと同じ頃に大阪の中之島で水上カフェをして、そこから水上タクシーでもって「水の回廊」に設けられた、府や市の管轄である4か所の桟橋と、水上カフェ5か所をつなぐというプロジェクトを行政の協力を得て、2004年に行いました。5人乗りの小さな船5艇でもって水上タクシーを運航しました。水上カフェに来て水上タクシーに乗りたいお客さんは、4か所の桟橋からいつでも舟に乗って、どの桟橋に行ってもよい、というプロジェクトでした。今でもそれは難しいことです。10年前にそれが実現できたのは、大阪府の河川室の一人の担当者が大阪の河川に一目ぼれしてしまった方で、すごく熱心で、その方が一人で昔からの地権者たちに説得に行ってくれたんです。そのプロジェクトが立ち上がってできるかどうかとなってから、その人がいたおかげで、今でもやることが難しいような計画が10年前にできたんです。私は20代前半でそれを目の当たりにして、たとえ行政の人であっても、私たちのようなちっぽけな民間の会社であっても、一人のひとが本当に思ってしっかり行動に移せば、今までできなかったことが本当に実現できるんだということを大阪の町で感じました。小さい事業であっても、たとえ一人の動きであっても、面白いしすごく大事なことなんだなと心から思って、これからも私の仕事として続けていきたいなと思っていたところに中野さんに出会い、結婚して三人の子供をもうけ、舟の管理をどうしようかと考えたときに彼(中野さん)が登場してくるんです。御舟かもめを始めるまで中野この御舟かもめには私どもの家庭事業がからんでいまして、お恥ずかしいことなんですが(苦笑)。「水辺不動産」という企画の第一号契約者が私でして、この中谷ノボルさんとは学生時代から存じ上げていた関係で、「『水辺不動産』を始めたよ」という噂を聞いて、都心暮らしに憧れているから水辺に住んでみようかなと思って暮らし始めました。同じ場所にたまたま彼女がお姉さんといっしょに住んでいて知り合いました。彼女たちの活動をずっと横で見ていて、「なんで誰も商売をしないんだろう」とずっと疑問に思っていました。当時、大阪の河川を航行する船は、大型の100名ないしは50名の規模の船、もしくは、砂利や砂糖を積んだ作業船のみでした。小型の船ももちろん走っていましたが当時、小型船は非常に危険視されていました。プレジャーとして川に入ってきますので小型船は閉め出そうという話に一度なりかけたこともあり、それはお互いの理解がなかったからだとおもいます。ただ、そういう話になってしまうのも、船で生計を立てるひとがいたらいいんじゃないかというようなことをつい思ってしまいました。その一つの大きなきっかけが、彼女が旅先で買ってきた一枚の絵葉書の写真を見たことなんです。その絵葉書の写真とは、船で家を運んで、好きな、気持ちのよいと思える場所に家を下ろして暮らして、自分にとっての一等地を探して選んでいく、というものなんですよね。実際には大変だと思うんですが。彼女が水辺にかかわっていたことから、付き合い始めてすぐぐらいに彼女はアムステルダムとイギリスの運河を見に旅行に行ったとき、お土産にその絵葉書を買ってきたんです。私は当時マスコミで働いていておりまして、いろんなところで取材をさせていただくようになって、少し行き詰まってるところもありまして、「これ、楽しそうだな」と思いました。実際に小さな船で商売ができるのかどうかと非常に不安だったものですから、彼女がオランダに行ってまだ二年ぐらいしか経っていなかったのですが、仕事を辞めて一人目の子供といっしょに三人でアムステルダムと、ナローボートというイギリスの運河を走るボートを見に行きました。アムステルダムで「へえ」と思ったことが、運河に浮かぶハウスボート上でたたずむおじいちゃん2人を見たときでした。日本でアクティブな方といいますと、若い方とか、いわゆる「とがっている」方が川で遊んでいるというイメージが強いんじゃないかと思います。もちろん、ご年配の方でヨット等で素晴らしい楽しみ方をされてる方はいらっしゃいますが、年配の方がこういう感じで、ハウスボートで楽しんでいるのはすごいなと、文化として染み込んでいるんだなと、いう印象がありました。つぎに紹介するのが、オランダのテレビ局のディレクターの方でして、その方がアムステルダムの旧市街を流れるヘーレン運河ぞいに建つ築200年ぐらいの建物の半地下階の部屋を、一日一組限定で貸し出す宿を当時やっていまして、彼が持っている70年か60年くらい前に作られたボートでいろいろと話を聞きながら案内してもらいました。また今は、私たちが訪ねた当時建設中だったB21というバージ船を改造したハウスボートで、一日一組限定で貸す宿をやられています。彼のような若い人がテレビの忙しい日々の仕事の傍らでこのように運河上で宿泊できたり小型船を走らせたりしているんです。しかも毎日予約で埋まっている状況です。「ああ、できるんだなぁ」と、このとき感じたんです。さらにイギリスに出かけてみると、イギリスの運河には、今は「キャナル&リバー・トラスト(Canal & River Trust)」という名前になっていますが、当時は「ブリテッィシュ・ウォータウェイズ(BritishWaterways)」という組織があります。私たちは待ち合わせ場所として指定された、バーミンガムから40分くらい電車に乗ったところの、「キングスウッド・ジャンクション(Kingswood Junction)」という運河の交差点に行ってみたら、「プーク号」と言う名前の、