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100水辺の未来を考えるレクチャーシリーズ大阪の水辺のこれまでとこれから(松下岳生)こんにちは。水都大阪パートナーズ・ディレクターの松下岳生と申します。本業はランドスケープデザイナーでして屋外空間の設計等をやらせていただいます。「素地・Rojiroom」という環境デザイン事務所を、東京・谷中のような古い町並みが残っているエリアでやっています。事務所が路地の奥にあることから「Rojiroom」と称しています。またギャラリーとショップとしても使っています。週の数日、水都大阪パートナーズの仕事をしております。「水都大阪」は、大阪の水辺の魅力を発信したり、提案したり、その提案を加速させたりしている組織です。公募で取った4年間の期限をもつ組織です。それから、「NPO 法人パブリックスタイル研究所」という、ランドスケープデザイナー忽那裕樹氏が理事を務める、オープンスペースや広場の使いこなしを提案・展開するNPO の事務局もやっています。今日は水都大阪パートナーズのディレクターとして大阪の水辺のお話をさせていただきます。大阪の水辺では様々な動きがこれまでにもありましたが、大阪の水辺の魅力は上がってきていますし、作り込まれ方も日本で有数の面白い形になっています。そのあたりの話を少しさせてもらえればと思います。これまでの大阪のまちと水辺まずはこれまでについてお話します。1687年の大阪の古地図をみると運河がたくさんあります。今から400年前に大阪の陣が起こり、徳川家康が大阪を攻めたときに堀を埋めていって大阪城を落城しました。当時の堀の近くに私の事務所のRojiroom があります。大阪は割と平らなイメージがありますが大阪城の南方向に上町台地があり、そのあたりには坂道があります。坂を上ると593年に建立された四天王寺があります。これは日本最古の仏教寺とも言われる寺でして、大阪は歴史が深い町です。実は京都や奈良よりも古い歴史をもつ町なのです。1847年幕末の大阪の地図を見ると大阪城もまだあります。大阪城の南が手薄だったことから豊臣秀吉がそこにお寺を集約させた状況がよくわかる地図です。さらに地図をみてみると、東西方向が上下に来るように描かれました。つまり、幕末まで大阪は西向きの町でした。実際、町の西側に海がありそこへ流れる川を生かした水運があり、それらが大阪の軸となり、西向きの町となっていたのです。そのあたりをもう少し補足しますと1672年に河村瑞賢が北前船の西廻り航路を開通させました。日本海側から波の穏やかな瀬戸内に入って一番奥の、終着点ともいうべき大阪まで向かう航路です。さらには、大阪は『天下の台所』とよく言われますが、瀬戸内の奥座敷のような地形と周辺にもいろいろな町がありましたので、水運物流の拠点になりました。商業地として大きく栄えました。水辺には雁木という階段状の、物資をすみやかに積んだり降ろしたりすることができる場所が、まちの至るところにありました。実際に西向きをたどることのできる証拠としまして、上町台地には西に沈む夕陽を拝む信仰が今もあります。例えば、いま日本一高いといわれているあべのハルカス方向に沈む夕日は今もきれいに見えます。あとは、「船場(せんば)」という、昔は船がたくさん着けられるように作られたエリアがあり、水運物流に配慮して西向きの道路が広く作られており、いまでも当時の名残があります。つぎに1925年に描かれた大阪の地図上では、地名が「坂」(つちへん)から「阪」(こざとへん)になっています。これは明治政府が“ つちへん” の「坂」を嫌ったといわれています。また、「『土に返る』と読めるからいやだ」とか、「(土を読み変えて)『侍に反する』とも読める」などとの話もあり、「阪」という字に変わった水辺のまち大阪日程  2015年1月10日(土)話し手 松下岳生(ランドスケープデザイナー、         水都大阪パートナーズ・ディレクター)    中野弘巳(御舟かもめオーナー・船長)    吉崎かおり(御舟かもめ船長)場所  3階スペース平成26年度